作品名 | 記述者 | 記述日 | 星 |
あんのこと | 唸るバクテリア | 2024/08/02 | ★★★★ |
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で、河合優美というか、あんのことです(役名としては「杏」だけど本稿は「あん」で)
間違いなく、この世界はすぐそばにあって、俺は何時でもそこに落ちうる人間である。
あの目つきは、たとえば妹がよくしていた目つきだし、手を伸ばせばいくらだって助けてくれるのに、蔑ろにされ続けてきたから助けてもらうという発想がない。助けられ方がわからないから助けを求めない。求められない。
これは本当に辛い。
どんなに言葉を費やしても、信じてもらうには時間が掛かるし誠意がいる。
この時に「わたし」は、なにをどう言っても聞いてもらえないのだ。辛い。
もちろん、劇中では周到にあんが助けを求められないような演出もされている。辛い。
頼ってと言えるし頼られる、同日公開の「違国日記」での笠町君と槙生ちゃんの関係は、やはり彼らが賢い大人であることを強く示唆している。
それでもカメラは、あんの横顔を斜め上に見上げたアングルを取る。
おそらく、そこにはあんへの尊さみたいなモノがある。感じる。
けれど、それでいいんだっけ?という疑義は拭いきれない。
プリミティヴな障害者とか、子どもは善良であるとか、そういう偏見をバックボーンに置いているようにすら見える。
ちょっとした嫌悪感というか、思慮の足りなさを感じる。
その意味で、さえぼー先生が書いてた
> 性暴力がプロットを前に進めるためだけに出てきているみたいな感じで、性暴力じたいを問題にする視点があまりない作品だと思った。
には理があって、正直、入江監督あそこに興味が無いんだろうなぁと。
でもって、佐藤二朗の演説(佐藤二朗の希望で挿入されたらしい。なので、劇中には不要な描写のママになっているのは編集の瑕疵だと思う)はあるけども、この描写ではダルクがゲスな組織みたいに見えかねないなぁとか。
ダルク、薬物監修に入ってはいるのだけれども。
しかしてしかして、そうか、性暴力も実話なのか・・・
そもそもだ、サルベージ赤羽にしろ、多々羅と桐野とあんの3人は、桐野にちょっとそんな気があったみたいな描写と取れなくもないけど、やはりアレは疑似家族のように見えた。
だからこそ、早見あかり as 三隅紗良に無理矢理子どもを預けられたことで、図らずも疑似家族関係の延長戦がはじまってしまい、決定的なトドメを刺したのは崩壊した血縁家族である河井青葉 as 香川春海の裏切りに起因するわけだ。
疑似家族が崩壊した血縁家族に壊され、いざ、その崩壊した血縁家族を殺すことが出来なかった結果、自己破壊に向かうというのは、わからいではないのだけど、なんだか家族讃歌にも見えてしまい、それはそれでなんだかなぁという気になる。
疑似家族の崩壊より、仲間との友情の断絶のが主題に置かれるべきだったんじゃないかなぁ・・・
祖母である広岡由里子 as 香川恵美子への親愛の情は、客観的に見れば単なる憐憫なのだが、しかし、親愛の情こそが崩壊した血縁家族が家族の輪郭を辛うじてキープしていたのも事実ではある。だが、COVID-19によってもたらされた孤立は、家族でしか癒やせないのか?みたいな話に見えてしまうのは的外れじゃないかなぁ。
しかも、ドラッグで幻覚でも見てたんじゃないか?って解釈も出来ちゃうしなぁ・・・
日記帳が結構な炎を上げたから、火事になるのかと思ったけど、そこまででもなかったし。
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