作品名 | 記述者 | 記述日 | 星 |
違国日記 | 唸るバクテリア | 2024/07/26 | ★★★★ |
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まさか「あさのうた」が期待よりだいぶ良くて、ちょっと泣きそうにもなり、この歳になるとここでも泣けるのか!思ってたら、作詞作曲が橋本絵莉子ですよ。
ズルッ!そうか、たしかにこの感じでハマる曲書くのは橋本絵莉子か宮崎朝子ぐらいか。納得。パンフによると、監督のオファだったらしい。
それはともかく、原作はほぼ初期から完読している、いわゆるガチ勢。
笠町君の立場にわりと似た恋愛関係において、瀬戸康史は納得がいかない派(なんだそれ)
実際問題、パンフによると瀬戸康史自身、違うなと思っていたけど、そのギャップが面白かったから受けたらしい。
結果的に瀬戸君の適度な大根芝居のおかげで、物語の女性性というか、見事なまでの男性性排除が如実に。
そのわりに、劇中で朝への紹介なく、部屋でワイン呑みしてたので、本当に納得がいかない。
言われてみれば、原作もたしかに男性性があまりないのだけど、笠町君が槙生ちゃん as 新垣結衣触るのを我慢することで、パンセクシャル感というか、足りないことを感じさせてなかった印象。
だって、笠町君は一度引かれた線をそう易々と乗り越えられないのだ。
わかっていることをわかってもらえていても、それは理性がわかっているだけであって、心の奥底というか、本能ではまだ許容してもらえてないと理解しているから。
この断崖って、自分の中にもあるからこそ、易々と乗り越えちゃいけないとわかっている。
アピールというか、伝えることをサボっちゃいけないけれど、伝えようとしすぎてもいけない、危ういロープを渡るには瀬戸康史の芝居は薄っぺらすぎるし、ベタベタ触る演出は浅すぎる。
そゆ意味では、ワンポイントでしか登場しない塔野和成 as 染谷将太が槙生ちゃんと握手し、両手で包むのは、染谷将太のチャラそうな感じと相まって、どうよ?という気がしないではないのだが、原作でもちょっと塔野と槙生ちゃんには、セクシャルな雰囲気があったりではあるのだけど、あとのシーンで高代京子 as 銀粉蝶と槙生ちゃんに握手させた際、同じように両手で包む握手をしたので「親愛の情」の意図だと伝わる。
映画としてちょっと遅いけど。
一方、映画の笠町君はどうしても触りたいことが我慢できないことに性的な意味を帯びてしまっている。
どちらかというと、槙生ちゃんはアロマンスというより、朝 as 早瀬憩が形容しているとおりコミュ障というか、対人が無理というか、人間に興味が無いのだ。
だから、否定はしないけど肯定もしていない。
何故なら抱き返さないから。返したのは一度きり。朝にだけ。
その意味で、本当にガッキーは素晴らしい。
呑み友達的には違ったらしいのだけど、俺もキャスト発表時は違うと思ったのだけど、見たら断トツ。
感情を抑え込んで、できるだけ冷静に客観的に考えた末の言葉を口にする芝居をやりきっている。
原作があるとはいえ、これをリアルでできる人は数えるほどしかいないからロールモデルみたいなモノが無いので、今後、この手のキャラクターはみんなガッキーの芝居をモデルにする。
そして、朝なのです。
見事に朝。
実在した!感が半端ないし、JKトーク・思春期青春トークは最高ですよ。
狡い。本物って狡い!
この真空パックは、幸か不幸か焚書坑儒されても、もう人類が滅びない限り永遠だからね。
きっと、そう遠くない未来に「お母さん可愛い」とか早瀬憩は言われる日が来るわけじゃないですか。
いいなぁ。いい人生だなぁ。
映画的に、監督瀬田なつきの芸風的に、アプローチは青春映画になる。
あまり走らない登場人物たちが、最後唯一走るのは遅刻しそうだからだ。
待って。ヤだ。それって超青春じゃん!
その代わり、わりと珍しいことに劇中、電車にバスと、乗り物搭乗シーンが多い印象。
もちろん、朝が子どもだからだ。車を運転することは許されない。
そして、ひとりで彼女は移動する。
もしかしたら、墓参り前のバスシーンで槙生ちゃんと朝が隣同士で座らないことに違和感を感じる人がいるかもしれない。
確実にしっかり、2人はそれぞれ個別のひとりひとり人間だからだ。
ヤマシタトモコは本当に甘くないし、たぶん瀬田なつきはこれを写したかったのだから、すくなくとも監督の意図は成功しているのは間違いない。
実際、前半わりと原作で印象的なカットを映像化するんだ!と、驚くシーンがいくつか。
間違いなく瀬田なつきという監督は、このマンガが好きなんだなぁという感慨はある。
原作はこのあとも続くので、そろそろ終わる時間だなぁと思った時、俄然気になったのは、どこで終わらせるのか問題だけど、とりあえず、朝と槙生ちゃんが、それぞれちょっとだけわかりあえた。成長したところで終わる。
もともとカタルシスの無い。あるいは、究極的に言語化できない書きたいことを全力で、死ね!と描くことこそがテーマとも言えるヤマシタトモコ作品において、それでもどうしたって孕んでしまう物語性を切り出す挑戦は、わりと成功していると言える。
ただ・・・ただ・・・なに?あのエンディング?あの虹のチャチさはなに?
呆れてしまったので、減点でした。残念。
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