最初聞いた時には、ものっそ馬鹿にしていたけど、予告編見たら大好きなグレタ・ガーウィグと、大大大好きなマーゴット・ロビーなんだから、見ないわけにはいかなくなってしまった「
バービー」
Tシャツローテ的に違うのを着る予定だったんだけど、やはり、これ見るならピンク必須かと
RSRのピンクTシャツを着てきたり。
したっけさ(北海道弁)、まずでバービーみたいな外国人が、開場前のホワイエっていうかで写真撮ってたりするTOHOシネマズ新宿。
ここはバービーランドか?
あまつさえ、見終わったらしき外国人のオッサン連中も
みんなピンクで、流石だぜ!と。
でもって、隣に座ったのは女装長身白人オジサンだぜ!
3人組だったけど、ショップで買ったビール空いたら、持ち込んだ赤ワイン飲んでたぞ!!
それはともかく、
なんて映画だ!
一般的に「ウーマンエンパワーメント映画」だということになってるんだけど、見る前から、たぶんそれだけだと浅いんだろうなぁ思ってたら、
まさに。本当に浅かった。
酷かった!(ほめ言葉)
コメディだからこそ描ける世界があって、コメディだからこそ描ける
ヒューマンエンパワーメント映画じゃないですか!
もちろん、これはマーゴット・ロビー as バービーだからこその映画である。すくなくとも、マーゴット・ロビーじゃなければ成り立たない。
劇中、ヘレン・ミレンの「
マーゴット・ロビーが言ってもね 」みたいなメタツッコミナレーションに爆笑したけれど、バービーであることのリアリティと身体性。なにより、
圧倒的な人間性。コメディアンとして、
当代随一の素っ恍け感。
たぶん、バービーが人間になったらマーゴット・ロビーなのである。異議は認めない。
しかもプロデューサなのである。
グレタ・ガーウィグに「バービー」を持ち込んだのはマーゴット・ロビーなのだ。
バービー人形を素材に
こんな映画をやろうと思った最初の人はマーゴット・ロビーなのだ!
なんて自由で豊かな想像力だろう。改めて、惚れ惚れしてしまう。
アトロクのグレタ・ガーウィグインタヴュで、グレタ・ガーウィグがマーゴット・ロビーを「ドリームガール」と呼んでいたけど、こんなの他の人は嫉妬するしかないんじゃね?ぐらいに。
まさしく、ドリームガール。
ライアン・ゴズリング as ケンの、ちゃんとした三枚目も素晴らしいし、ラス前のケンたちの抗争からミュージカルになるシーンの頭の悪さなんか、なにを見せられてるのかと爆笑してしまったじゃないか。
しかも、「I’m just Ken」の歌詞。
何をやっても
僕はいつも二番手だ
誰も僕の努力を知らない、ああ…
説明できない感情が。。。
僕を狂わせる
一生、とても礼儀正しく過ごしてきた
でも、今夜は一人で眠るだろう
(歌詞和訳引用 https://songs-wayaku.com/imjustken-ryangosling/)
この駄目な子感は俺じゃん。
駄目でも「僕はただのケンだから」って断言してるじゃん。
凄いよ。
まさかケンに、ライアン・ゴズリングに自分を重ねるとは思わなかった。
ビックリするぐらいの黒髪だけど、その残念な感じ
他人事ではない。
あなたが僕の方を向いてくれなくても、僕はあなたの後ろを付き従い続けるし、僕はあなたのことが好きだよってことは、歌い続ける必要がある。
この映画、202X年代の音楽が見事に詰め込まれてるので、サントラ(
iTS)素晴らしいよ。買わざるを得ない。
何種類かあるのだけど、CDよりディジタル版の方が曲数多く、通常版より上のデラックス版が安いというカオス。わけわからんよね。現代文明。
ちなみに、全然気づかなかったけど、サントラに参加してるデュア・リパは人魚のバービーだったよ!
そして、上述のアトロクのグレタ・ガーウィグインタヴュで、グレタ・ガーウィグの発言にあったけど、ケンのブラザーフッドをあえて演出したというのは絶妙なとこで、結果として、人間賛歌というか、冒頭で書いたとおり、ヒューマンエンパワーメントな内容になったんじゃないかと。
本当に作戦勝ち。
なお、このフレーズを日々アナが聞き出せたのは、まさしく自分の問題だからだ。
「女子アナ」として向き合わざるを得ない数々のくだらない障害に、日々ちゃんは真面目に誠実に対応し、ちゃんと考えて行動しているから、いざ、敬愛して止まないグレダ・ガーウィグへのインタビューで質問できたのだ。
日々ちゃん素晴らしい。
もちろん、ケンたちもだけれど、イッサ・レイ as 大統領のバービーが、ケイト・マッキノン as 変なバービーに謝罪する展開はお見事。
敵は作らない。
みんな味方で、みんな自由で、みんな尊重されるべきなのだ。
またさ、ケイト・マッキノンを変なバービーに配役するのが絶妙だよね。
たぶん、当て書きだろう脚本は、ケイト・マッキノン全開で、本当にこういう役をやらせたら抜群です。
あとそう。バービーみんなで憲法改正を防ぐのにピンクのつなぎ着て、トラックの後ろから出てきたシーン。
あれ、ゴーストバスターズオマージュで、ケイト・マッキノントリビュートですよね。
それも爆笑だったのだけど、映画オマージュでいうと、やはり冒頭の「2001年宇宙の旅」オマージュ。
いきなり俺はなにを見せられているのか?と。
最後に真面目っぽい女の子がお人形を叩きつけて、お人形の頭が吹っ飛んだ時なんか爆笑ですよ。
結構な数、「2001年宇宙の旅」オマージュ見た気がするけど、ここまでブラックなのはなかなか無いよ。
しかも凄いのは、ホントに正しく幼女達の幼年期の終わりなわけで、オマージュ元の意味もちゃんとなぞっているという。
しかもしかも、「2001年宇宙の旅」の未使用フッテージ使ってるって!?(
ソース)
もちろん、ハイライトはアメリカ・フェレーラ as グロリアの演説シーンなんだけど、あの演説のあと、隣にいた外国人3人は拍手してましたよ。
そう。この映画は、ただバービー達の映画ではない。
人間によってバービー達の世界が変わる映画だけれど、バービーによって人間たちも変わるのだ。
いや、人間たちはバービーランドの存在を認識している。
すくなくともマテルのコールセンターの人間や経営陣は。
経営陣にジェイミー・デメトリウ、社長にウィル・フェレルを配置しているとおり、ただマテルを悪い人間の集団にしていないのもポイント。
マテルの経営陣に女性は過去2人しかいないとか、廃盤になった妊婦のバービー(エメラルド・フェネル as ミッジ)やケンの友達として作られたけど忘れられたマイケル・セラ as アランと、怒られても文句言えないようなキャラクタを、ちゃんとしっかり織り込んでるのを、マテルの経営陣は怒れないような役回りに配している。
この配置で怒るのは粋じゃないのだ。
なので怒れないように仕立て上げたグレタ・ガーウィグは、やはり賢い。
エメラルド・フェネルはパンフで、演出上「 女優としての自尊心に多少傷がつくことだった 」と言っているけど、この人はあの快作「プロミシング・ヤング・ウーマン」の監督だぞ!
これが男性監督だったら、絶対に受け入れなかっただろう演出。
本来、変化するはずの人間は、劇中で変化も成長もしない。けれども、彼らはちゃんと受け入れる。受け入れるというところが大事なのだ。つまり、この映画は受け入れる映画なのだから。
廃盤になったことを受け入れるバービー。
変なバービーであることを受け入れるバービー。
ケンたちの自立を受け入れるバービー。
そして、マーゴット・ロビーの演じる普通のバービーは、自分が自分であることを受け入れる。
上述の過去2人いた女性経営陣の一人であり、バービーの創造者たるリー・パールマン as ルース・ハンドラーは、自分が想像したバービーの自立を受け入れる。自立せよとバービーに想いを伝える。
グロリアは自立したバービーを受け入れる。
SDGsとか糞くらいだけれど、やっぱり、受け入れること、許容することだけが人間の価値なのだ。
なによりも、受け入れるってことは変化できるということだ。つまり、劇中で変化していないように見えても、ちゃんと変わっている。
しかも、コメディでファンタジーだからこそのエンディングと、常軌を逸したオチ!
はぁ。こういう話好き。大好き。
まさか、生涯ベスト入りの映画です。
死ぬまでに、あと何回か見直す。
あと、ゴッドファーザーの蘊蓄語れない人間で良かった(笑)
ホント、蘊蓄語りたがるオッサンにはならないようにせねば。