「
カセットテープ・ダイアリーズ」見ました。
またドメイン取ってんでやんの。どうせ失効するんだから止めてくれないか・・・
それはともかく、ヤだ。なに?
これは、俺の映画???ビックリ。
去年の「
ガリーボーイ」といい、家族というか生まれる前に決まっていた前提を苦しんで脱出する映画に俺は弱いんだな。
しかも、音楽のおかげで脱出するっていう。
間接的に自分を見ている。スキカウやチャミグリ!やフラキに、ここまで生きのばし((C) Theピーズ)てもらった赤平人のアラフォーが、歌舞伎町で映画を見ている深夜。
俺、父親にとくとくと「
一升の升には一升しか入らない 」って説教されたことあるからね。マジで。
会心だったのは、アメリカに行くと父親に宣言し、家を出ようとしたけれど親父の黄色い車は動かないところ。
そう。その車は動いちゃいけなくて、それで家出してしまっては、
結局、父親の軛を逃れられていない。
男の子達は絶対的に父殺しをしなければならないわけだけれど、思春期の男の子にとって「善」なることに父殺しは含まれない。
ご承知の方はご承知の通り、U・Bは過剰なデブへイターなため、あのお父さんは腹立たしくて仕方ないよね。
そゆ意味でクルヴィンダー・ギールは名優。
ブルース・スプリングスティーンを「BOSS」と崇めるのは、ブルース・スプリングスティーンを新たな父とすることと同義だ。
しかし、遺伝子上の父は自分で選べないが、BOSSは自分で選べる。
思わず忌野清志郎を思い浮かべるけど、同時に、たしかに佐野元春はブルース・スプリングスティーンフォロワだなぁ。面白いなぁ。
ちょっとしたミュージカル的な演出が幾度か出てくるけど、そうなんだよ。唄いたいんだよ。
「歌」って、自分の存在証明なんだよ。
でさ、この物語唯一にして最大の問題は、ジャベド(主人公)の書いた詞なり物語が唄われないことかと。
つまり、ブルース・スプリングスティーンを殺すことはできていない。
それはたぶん、エンドロールに出てきたとおり、本物のジャベドがブルース・スプリングスティーンを好きすぎるから。
その必要が無いというか発想が無い。だから、これはもしかしたら現在進行形の話なんだな。いつか、ブルース・スプリングスティーンを殺す日が来た時の、続編が見たいとも思う。
しっかしさ、俺も高校で救われたというか、高校行ってようやく楽になれたのだけれど、イライザ(ヒロイン)みたいな娘いなかったよ。いいな。いいな。なんだよ。それ。
顔はそんなに好みじゃないけど、その性格はやっぱり好みだよ。
いいな。あ〜あ、いい女がどうしてそばにいてくれんかなぁ。ダメかなぁ。俺(そういうところが駄目)
でもしかし、一番好みというか大好きなのはクレア先生です。もうすべてが好み。最高。そうか、キャプテンアメリカの彼女か!
あと、マットの父親役だったロブ・ブライドンはいい役者ですね。
ともかく、これは俺の映画なんです。
最低の町からどうやって抜け出すか?
たぶん、上の甥っ子は言うても町に残れるけど、下の甥っ子は残れないだろうから、助けてあげにゃならんかな・・・
音楽かつイギリス移民の話としては、どうしても「
ボヘミアン・ラプソティ」と重なるところがあるけど、やっぱり歌い手と書き手の差があるので、「ボヘミアン・ラプソティ」のラストシーンみたいなカタルシスが「カセットテープ・ダイアリーズ」には無い。けれど、あの「カセットテープ・ダイアリーズ」のラストシーンは「地味な僕」の物語としてはズバリだよなぁと。
あと、邦題嫌いじゃないけど、原題の「Blinded by the Light」はブルース・スプリングスティーンの楽曲から付いてるんだから、そこはそのままで良かったんじゃないだろうか?
もしくは、邦題曲名の「光で目もくらみ」
だって、ブルース・スプリングスティーンが光で、まだ目が眩んでるんだぜ。
にしてもさ、ライヴ行きたいよぉ。ライヴ。ライヴ。