雑感・レヴュ集
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映画

作品名記述者記述日
COWBOY BEBOP 天国の扉唸るバクテリア2001/09/10★★★★★

本項におけるU・Bの評価は基本的に好きな気持ちが前面に出過ぎてあてになりません。

ここでも若干内容に触れてますので興味のある方はどうぞ。

さて困ったことに、ここまで好きなアニメをそれこそ小学生の遠足状態で見に行ったものだからまともな感想文など書けるはずもなく、いったいどこから書き始めればよいものか・・・

つーことで、1年ほど待たされたCOWBOY BEBOPの劇場版。
星の数は誰がなんと言おうと好きだから5個です。
したがって好きじゃない人がどういう評価をつけようが知ったこっちゃない。
評価なんて相対的なものだから。目に見えないものだから。
でも、見えなくても想像できるものは存在する。
そういう映画。

TVシリーズを見たことがある人は、彼らがこのあとどういう道を歩むのかを知っています。
だから、台詞の一つ一つがブラウン管の前で見入った未来の記憶を喚起するし、アクション(広義の)の一つが過去を一つが未来を喚起する。
いつもいつも主人公スパイクは傷を負いながらライヴァルとの殺陣を演じ、辛うじて辛うじて生き残る。そして最期には・・・
ああ、違う。書きたいことはこんなことじゃない!
でも、俺はオタクだから思わず話したくなる。
そういう映画。

いつ誰がなんのために「アニメは子どもが見るもの」と決めたのでしょうか?
ああ、もしかしてディズニーのせい?それとも手塚先生のせい?
リスペクトの心は有り余るほどある。「市民権を与える」なんて大義名分を振るうことも許そう。
でも、それでも俺は彼らを恨むね。
だってさ、アニメってもともと芸術だよ。
子どもが見るも大人が見るも関係ないんだよ。
そこで区別することが間違い。
たしかに設定がギスギスしてたりで、免疫のない子どもに見せるにはちょっと度数が高いかなぁとは思うけれど、でも、だからなんなの?
COWBOY BEBOPがアニメを元の次元に戻したというのは過大評価かもしれないけど、NTV系の「ストーリーランド」みたいに“大人の”の二つ名で評価するのはおかしい。
お前らアニメ知らねぇーじゃねぇーか。と純粋に思う。
そういう映画。

話があっちこっち飛んでますが、音楽サイトなんだから音楽の話。
いやぁ〜、この菅野よう子なる人物何者なんでしょう(笑)
“果て”を感じさせない曲幅。
たぶん、自分の中に神がいて、そいつの創った宇宙があるんだろうな。
そんな人が作った曲を聞き逃してるなんて、人生の99%は損してる。
と書くと過大評価だろうか。いや、誰がなんと言おうとここだけは強調してやる。
BEBOPだけじゃない。菅野よう子の世界を知らないヤツは人生の99%損してる
音楽聴くためだけに映画代払ってもいい。特にゲストで沖浦さんが描いたOPとのユニゾンは近代映画史でも五本の指に入ると思う。そんなにたくさん映画見てないけどさ。ともかく、BGVにどうぞ。
そういう映画。

メトロポリスの時にも書いたんですが、U・BはCGと言うものが余り好きではありません。
もっと言えば、コンピュータ彩色も嫌いです。
でも、もう見分けがつかないことも間々あるので彩色に関しては言いませんが・・・
ともかくCGが嫌い。いや、ファンタジィ(広義)の世界を描くなら良い。
でも、人間は駄目。毛が生えている動物は駄目。
もうどう見てもCGってわかるんだから止めて欲しい。暗になにを指し示しているかは察しって欲しい。
戦闘シーンだって、動かないならCGは使わないで欲しい。CGで予算を食うからって、台本が陳腐になるなら止めて欲しい。
だって、それは本末転倒でしょ?
たしかに、アニメータの画力が下がってるかもしれないけど、CG使わない方が速度感が出せるなら、CG使わない方がリアルならセル使おうよ!
なんかさ、最近「リアル」の意味が違ってきてない?CGで描かれる「リアル」は本当に「リアル」?
改めてそう思った。
そういう映画。

いい加減なにかオチめいた文書を書きませう。
日本のアニメが「ジャパニメーション」と呼ばれ世界に売られてるのは、「ポケモン」であれ「サザエさん」であれ、そこに哲学的問題が存在してるからだとU・Bは思ってます。
海外のアニメにそれがないと断言はしない(「サウスパーク」を引き合いに出すのは無謀か?)けど、ストーリィ性の強さと勧善懲悪への疑念。
なによりも生と死のリアリティ。
ギャグであれなんであれ、存在を反転させることによってエンタテイメントが産まれるのは神話の時代より周知の事実で、この映画のテーマにだってそれは選ばれてる。
でも、だからこそ、主人公たちはその反転する現実を目の前に突きつけられておきながら、タバコ吸って、ギャンブルして、盆栽いじって、ハッキングして、犬はワンと鳴く。
逃げてるわけじゃなく、その反転だって現実のことだからと認めているからそれができる。
たしかに、いくつか予定調和があったし、そりゃおかしいだろうって設定もある。
でも、それすらも現実のこと当たり前じゃない。所詮は人間のやることパーフェクトになんかできるはずがない。
それを認められるヤツら(スタッフも含めてね)がそこにいるから、は金払ってそこに行くんだと思うのです。
周りにいるオタクと呼ばれる人種を四・五人捕まえて(とりあえず、日本国内に奴らがいない場所は無い)こう訊いてみてくださいな。
「COWBOY BEBOPのどこがオモロいの?」
きっと、あくまできっと、彼らはこう答えると思うんですよ。
「カッコイイとこ」
事実を事実として普通に受け入れられるヤツらはカッコイイ
そう思うのは過去も未来も知ってるからか?
なんて勘繰らせたりもする。そういう映画。

さぁて、俺は死ぬにはいい時に死ねるのかな・・・
今これを書いてるのは、醒めない夢の中なのか、それとも醒めた夢の中なのか、現実なのか、過去なのか、未来なのか、一人で遊んでるだけなのか、蝶が羽ばたくから書いてるだけなのか。
そんなことをぼんやり考えたくなる。
そんな映画。

SEE YOU SPACE COWBOY!


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