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洋画

作品名記述者記述日
CLOSE/クロース唸るバクテリア2023/09/08★★★★

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結構前、武蔵野館で予告見た時だったかぐらいで、すでにスケジュール登録してた「CLOSE/クロース」見ました。
「CLOSE/クロース」のポスター
辛い映画だった。
もっとアレやコレやあるのかと思ったら、中盤だった。
悲しいことはすぐにやってきた
怪物」を見た後の人間なので、どういう印象を受けるのかと思ったら、これが日本とベルギーの違いか?といった。
どちらの映画も、適切な台詞と適切な芝居で物語を進行するのだけれど、カメラの距離が違った。
「怪物」がなんだかんだで群像劇なのに対して、「Close」は徹頭徹尾レオ as エデン・ダンブリンの物語だった。
なので、劇中大半でカメラはレオに近い。
あるいは、レオの視点を追う。
こうやって見ているレオは、なにを考えて、なにに気付いて、動いているのかを、丁寧に伝えていた。
パンフは誰よりも先に瀧本幹也のレヴュを配置していて、この解説は映画見る前に読んだらむしろ解像度が上がるんじゃ?ってぐらい素晴らしい。

でも、日本だってベルギーだって、暴力装置としての学校は平等に牙を剥く
おそらく、俺があの場にいたら冷やかす側だったことは請け合いで、今のような知識もリテラシも無かった(でも、やおいぐらいは知ってた)身では、とても軽く無意識な暴力を振るっているだろう
ああ怖い。ああ怖い。
その結果として、実家の花畑を走るレオは、オープニングではレミ as グスタフ・ドゥ・ワエルと2人で走っていたのに、エンディングでは1人で走ることを強いられる。
ある意味において、幼年期の終わりで、絵に描いたような通過儀礼ではある。
13歳で受け入れてしまった男の子の目は、沈みゆく太陽のおかげで、泣けるほど光り輝いている。
後半ずっと、まるで自分が傷つかないと赦されないかのように、ひたすらアイスホッケーで走り込み、ぶつかり合い、最終的に、試合で骨折をする。
ここからの展開は、本当に本当に自然で、それ以上の選択肢がひとつも存在しない、悲しいのにどうしようもない
親愛や愛情だけではどうしようもない展開で、見ていて辛くて仕方が無い。
なんとなく、2人目の甥っ子のことを思い出す。

「怪物」よりもセクシャリティというかは露骨ではなく、クィア的というよりもシンプルに固定化されていない関係性は、安直な早熟さによって、勝手なラヴェルを付けられ崩壊するという、脆さの物語のように見える。
だって・・・会いたいじゃん!
「好きな人」は恋愛だけを意味しない。無論。
とはいえ、「怪物」と重なるイメージも多い。
自転車で道を駆け抜けたり、植物の中を走り回るのは、子どもだから当然でもあるのだけど、一番は、車から飛び出していくシーンだった。
もちろん、走行中の車か止まっている車かの差はあるけど、密室空間で母親、あるいは母親のような人から逃れようとするのは、極めて秘密を抱える男の子が取りそうな行動で、それは日本でもベルギーでも同じなのだ
だから、これは、ある意味で己の物語でもある。
レオやレミみたいなイケメンではないけれど、しょうもない嫉妬と感情で疎遠になっていく後悔は、人生の節々に残っていると気づかされる。
ああ厭だ。ああ怖い。

そうそう。木管か金管かの差はあるのだけど、「怪物」にも「Close」にも吹奏楽器が出てくるのは、ちょっとしたポイントなのではないかと。
「怪物」での吹奏楽器は、言葉にならない言葉の象徴なのに対して、「Close」での吹奏楽器は、他者の象徴だけれども、文化的な意味合いから物語の展開上、遠くへ追いやられてしまう。

にしても、レミの母・ソフィを演じたエミリー・ドゥケンヌは、相当難しい役どころを素晴らしく演じきっていて、これはもう、主人公2人に匹敵するほどではないかと。
同い歳かぁ。
あと、レオの兄チャーリー役のイゴール・ファン・デッセルが、出演時間に比例して良い芝居しはじめるのも、本当に1年かけて撮ったらしい時間経過を見受けられて良いなぁと。
そ してそして・・・パンフを買った人だけが見れるようなのだけど、成長したレオとレミが、さらに輪をかけてイケメンになっていて、惚れ惚れとしますよ。
いい役者になって欲しいなぁ。

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