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洋画

作品名記述者記述日
コーダ あいのうた唸るバクテリア2022/02/25★★★★

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予告編見たら、
これ、100%号泣するヤツや!
思わざるを得なかった「コーダ あいのうた」見ました。
糞どーでもいい仕事の電話が何回もかかってきて、本気で死ねばいいと思った。餓鬼じゃないんだから、テメェの脳味噌で考えろド阿呆。
はぁ。
あ〜あ、叫びたい。叫びたい。
そう。叫びたいのだ
差別と偏見と自立の話ではあるのだけど、違う。
これは田舎の映画だ。
僕や君が生まれ育った、山の中の哀しいぐらい寂れた町の物語だ。
舞台は海だけど。
知ってるよ。こういうオッサン。さんざっぱら相手したよ。あるある。
とてつもなく狭い世界で狭く生きてきたオッサン。
感情を抑えきれず、勢いで後悔するオッサン。
娘のルビーが、家族を出る話ではある。だから、家族愛の物語(邦題サブタイトルを見よ!)として受け取るのは、<じゃあ、家族がウマくいっていない人はどーでもいいというのか?
家族がウマくいってない彼氏のマイルズは、見事にバークレー落ちたじゃないか!!(ネタバレ)
そうじゃないんだ。この映画は、差別と偏見と自立の話なのだ。
だから、実は、受験以降のシーンは正直大して関心が無い。
そこよりも、やはり決定的なのはルビーとマイルズのデュエットシーン!
瞬間的に、観客は映画の中の登場人物と同化し、ルビーの唄が如何ほどのものかを視覚で理解する。
後の帰宅後シーンと連なるとはいえ、この設定であればこそのハイライト。
この場面で電話かかってきたら「ガチで殺す」と思った。
それはともかく、それは初めて、父フランクと母ジャッキーが、とくにフランクが、娘を相対的に見れた瞬間なのだ。
それまで、ジャッキーが「ベイビーちゃん」言うのに対し、ルビーを「大人」と評していたとしても、ルビーは家族の一員であり自分の娘でしかなかった。
しかし、あのシーンで周囲の聴者のリアクションを見て、初めてフランクは、そしておそらくジャッキーは、ルビーがひとりの「人間」であり、他者に「想い」を伝えることができる人だと理解した。
世界はやっぱり相対的なのだ
残念ながら、他のなにかや誰かと比較しないと外を認められない。
あのシーンともうひとつ、V先生に唄っている時の気持ちを手話で伝えたシーンに、字幕をつけなかったところ(たぶん英語版でもついていない)
この2点に心底驚いて、凄い物見たと思えた。良い映画を見ていると感じた。
閑話休題。
下衆な話をすると、ガーティー as エイミー・フォーサイスがエロくて最高です。
あんなん、妹の親友でも迫られたら手を出さざるを得ないよね。我慢できるはずがない。
あと、ジャッキー・ロッシ as マーリー・マトリンが、年齢からは想像もつかない谷間アピールですよね!白人様凄いわぁ。
とはいえとはいえ、やっぱり一番は主演のルビー・ロッシ as エミリア・ジョーンズです。
まるで当て役か?と思わんばかりの素晴らしさ。名演。
ああ、久々に名優がブレイクした瞬間に立ち会ったと思えるほど。
エミリア・ジョーンズに外れ無しと言ってしまいたくなるほど。
閑話休題。
リアルな話。高校の頃、進路をどうするかで、父から「一升の枡には一升の水しか入らない」と諭されたことがある。
マジで。
見ている間、あの頃のことをずっと思い出していた。
劇中ジャッキーがルビーに対して
聾唖なら良かった 」(ちなみに、字幕で「聾」ではなく「聾唖」書いててビックリした)
わかり合えないと思ったから
と言ったのは、実は父が俺に言ったのと同じような心からではないかと想像する。
同一性と均一性は、斯様に己の思考を狭小にする。
大切なのは相手のことだし、心だ。どうしたいかだ。
なにせ、未だに俺は己が「一升」に、どれだけの水が入ってるのかわからんもん。

あとはそう、パンフのパンフで聾の写真家齋藤陽道とコーダのライター五十嵐大のコラムが良い。
とくに齋藤陽道のコラムは、ここ数年読んだ映画パンフのコラムの中でもずば抜けて素晴らしい。
これだけでもパンフ代の元は取った感。
でさ、コーダの意味を思い知る。
このタイトルは、音楽的な意味でのCodaだと思っていた。見る前は。
今は違う。
そりゃそうだ。そういう概念は定義されるに違いない。
去年「シンエヴァ」あったせいか、完膚無きまでに、このタイトルは音楽のCodaだと思い込んでいた。恥じる。
今は違う。
なんて、自分の知識が狭小なモノかを思い知らされる。
ラストシーンを思い返すにつれ、たぶん、呆れるほどに極々単調な未来がルビーを待っている予感がある。
繰り返される予感がある。
おそらく、差別も不便もなくならない。ただ、同じことの繰り返しが、同じに聞こえない日が来る。
きっと、その可能性があるから生きてることは楽しい。

ちなみに、アトロクの「映画とろう者特集」は、サブテキストとしても抜群の回でした。
「コーダでない役者だからコーダの描写が弱い」ってのは、当事者じゃないとわからない。

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