公開初週を逃したら、翌週に大ネタ連発で見るタイミングを逸しかけた「
恋人はアンバー」見ました。
やった!これは快作。良い
青春映画見た。
これは恋愛ではなくて友情なのだけど、このエンディングは、どちらが幸せなのか?と問われたら凄い悩む。
きっと、ちょっと歳上に口説かれて地元に留まるのも地獄だし、アレぐらいの金で、勢いロンドン行くのも地獄ですよ。絶対。着いて路頭に迷うの請け合い。
でも、それでこそ青春と思える。
だろ?
それで失敗して、20年後とかに会った時どうなってるかが興味ある。
ヤだ。見たい。
さえぼー先生は俄然このエンディングを否定してるのだけど、その気持ちはわかるが珍しく感情移入しすぎてる気も。
にしたって、1995年酷いな。
LGBTQ差別もあるけど、なにより、
学校の中で煙草ふかし過ぎな田舎の餓鬼どもに、酒にドラッグ。
いや、ドラッグ以外はたしかに周りにあったけどもな(from 田舎)
見てる上映回は客入りがユルかったので、笑ってる人間が本当にすくなかったのだけど、
ギャグも全体的に酷くて良かった。笑った。
精いっぱいのおめかしで着たワンピとメイクのアレっぷりとか、爆笑せざるを得なくて、めんこくて仕方がない。
全編通して、
主人公2人がめんこい。
なにより一番は、出てくる子どもたちが全員高校生に見えないことですよ!
とくに、女の子全般。
あのファットでビッチな2人(トレイシーとサラ)は、妙にリアリティもあって、ぜってぇ拒否るんだけど、出てくると笑えるという。
あの配役は素晴らしいですよね。
でもって、主役2人ですよ。
まず男の子側エディ as フィン・オシェイは、たしかに童貞感というかかあるのだけど、ゲイっぽいかというと、単に体育会系というか男らしさに馴染めないだけにも見える。
だからこそ、馴れない怒鳴りをして失敗するのはいかにもいかにも。
ワシ、あの頃は勝てないのに喧嘩っ早いという特殊スキルだったので、ああいう目に遭ったことはないのです。
そうじゃなく、オフィシャルとかパンフの表紙見ればわかるけど、女の子側のアンバー as ローラ・ペティクルーのさ、髪が緑と赤なんだよ。
自称パンクスなんだけど、言動はパンクスというより家族に問題がある女の子なのだよね。
なので、セクシュアリティが中心であるとはいえ、どうも
家族不全の男の子と女の子が惹かれあう、青春恋愛映画感がある。
ゲーセンシーンとか最高じゃん。久々に「デートしてぇ」思ったもん。
だがしかし、それは編集の妙というか、罠ですよね。仕掛けてきてる。
両方ありのゲイバーが出てきてからは明確に2人の違いが出てきて、そこはカムアウトできる女の子と、できない男の子のさが如実。
パートナーができるのも、だからですよね。
とはいえ、そこをフックにラストシーン持ってきたのは素晴らしい。
うっかりしてましたよ。
なんだよあの演出。
最高じゃないか。
レズビアンにとって「最高の彼氏」は性を伴わないので、純愛なのである。言い換えるなら、究極の友情。
これがもうすこし古ければ、作中エディが言っていたとおり、偽装結婚する可能性が高いのだけど、1995年だから、ギリ、ジェンダーを維持する。社会的なロールから離脱する。
開放の映画でもあるのだけど、これはやはり
成長と言いたい。青春映画だと見たから。
さえぼー先生が否定してる金渡す前のとこね。俺が上がったのは。
たぶん、あのお金入れてる缶とか当時のアイルランド人にはグッとくるガジェットに違いなくて、今年は「
ベルファスト」見たりもしてるので、なんだかアイルランドづいてる気はする。
そうそう。劇中わかりきらなかったのは、エディがヘッドフォンでなにを聞いてたのか?と、弟がなにを考えていたか?なんだよなぁ・・・