2021年最初に見たのは「
ハッピー・オールド・イヤー」
「
バッド・ジーニアス」のスタジオGDH559と、同作の主人公チュティモン・ジョンジャルーンスックジンの再タッグってことで、1月最初の手薄な公開の埋めぐさだったけど、これが大正解。
武蔵野館とシネマカリテを間違えるという凡ミスをするのはご愛敬。
「
感情は疲れる 」
が、言い得て妙すぎて悶えてしまった。
本当に疲れる。
厭だ。
辛い。
死にたくなりますよね!
って映画とまとめるのは酷く雑だけれど、じゃあ、どうまとめるかといえば、自分勝手な感情に決着をつける映画なのだろうと。
決して、コンマリdisではない(笑)
とはいえ、コンマリだけでね?
今の日本でこんなにも他国へ影響を与えてるのは。
全くもって、アーキビスト寄りなガチヲタとしては好きくはないのだけれど。
そもそもの話として、
善きことが好きではないのだ。「畜生」と罵ってください。
正しくは生きられない。
つかさ、実際問題としてミニマルな事務所を構えるために、親父のマニアなガジェットを売る必要があったわけで、末代までの業が深いというか、ちょっとした哲学的命題。
金がないとミニマルにはなれない。
ある種資本主義の命題でもあるような。知らんけど。
って、違う。
この映画のなにが痛かったかって、
徹頭徹尾的たしかに過去に復讐されることですよ。
過去には敵しかいない。
復讐しかされない。
やっぱり辛い。
死にたい。
あまりにエムができるいい男過ぎて、嫉妬することさえできませんよ。まったく。
なんだよ。
この髭イケメンが!(間違い)
しかも、タメかよ。糞。
イケメンが!!(だから)
あんな包容力あるクセにミーを最後フるってズルくね?ミー、めっちゃいい女じゃん。
えっ?ミーって美容系YouTuberなの?ヤだ。最新。
もちろん、エムがミーに対して、なんとも言えぬ罪悪感を抱いているだろうことは窺い知れるけど、
それも抱えてお前は生きろよ。そこでジーンみたいにいい子なろうとするなよ!
とは思う。
しかし、思いの外、悪い人が出てこない映画だったのですよ。
たぶん一番の悪人は父親なんだけど、父親が常に不在という、ある種極めて日本的というかアジア的な映画だから「悪」然としてなく、ちょっとした欠席裁判感はあるけども、まぁ、これだけ自由な家族が生き残ってるってことは父親も自由な人なんだろうってことは想像に難くなく、作中では想像の斜め上に自由であったり。
ここんちがどうやって父親無き後、生計を立てていたのか?気になるところでもあるけど、でもたぶん、21世紀のドライさの感触がある。
ウェットとドライの行き来具合というか。
途中ずっと☆4つかなぁ。思って見てたけど、ピンクとの最後のやりとりとエンディングの持ってき方で、この映画好きだわ。と。
結局、ピンクが一番いいヤツ。
音の使い方も良いけど、なによりチュティモン・ジョンジャルーンスックジンの決して美人ってほどじゃないけど、なんとも言えない
顔力!
看板役者かくたらんと。
チュティモン・ジョンジャルーンスックジンありきの映画とも言えるが。