作品名 | 記述者 | 記述日 | 星 |
ジョイランド わたしの願い | 唸るバクテリア | 2024/12/27 | ★★★★ |
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率直に、死なないと逃げ出せないのって、地獄以外の何物でもないよなぁと。
新宿ガード下でホームレスのおいちゃんたちの前を通り過ぎる時にタップしてたりで、なんというか、本当に辛い。
最後に義理の姉のヌチ as サルワット・ギーラーニが言っていたとおり、自分も含めて、見ていただけの家族が悪いのだ。
本当に自分の小者っぷりに嫌気が差す。
なお、サルワット・ギーラーニは好みな顔です(入らない情報)
許すまじ家父長制!というのは正しいのだけど、でも、それだけだとちょっと違う。許しちゃならないのは、やっぱり見て見ぬフリなのだ。
辛いぞ。見て見ぬフリを許さないって、辛いぞ。
基準はなんだろうか?
人の命なのは間違いない。
優先されるべきが命じゃなきゃ、人間はいよいよ滅ぶべきだ。
主人公ハイダル as アリ・ジュネージョーは適度にイケメンだけど頼りない感じが絶妙で、ハイダルの奥さんムムターズ as ラスティ・ファルークは間違いなくいい娘だ。
センスがあって、意思があって、妥協できるところでなんとか社会と折り合わせなきゃならないと思っていた娘じゃないか。
間違いなく100%こっち側の娘で、あの子が死ぬんだったら、俺も死ななきゃならないなとすら思う。
構造が結構理不尽というか、そんな集める必要ある?って感じはある。
たぶん、ネコでアナルを求めて振られるハイダル、サブカル女子的なムムターズ、トランスというかヒジュラのビバ as アリーナ・ハーン、車椅子な家長ファザー・アマン as サルマーン・ピールザーダ、巧いこと世の中流されてみせるヌチと、実はザ・ステロタイプな兄サリーム as ソハイル・サミール。
そんな煮こごり食べさせられたら、煮こごりなのに胃がもたれるに決まってんじゃないか!(言いがかり)
社会の縮図過ぎて、ちょっと驚きがない感じはある。
その分、パキスタンの日常を眺めるのは楽しい。
国土は広いのに、社会も広いのに、何故か酷く狭いコミュニティの中で、最後に海を目指す気持ちは山の民として、わからいではない。
こと、弱者として扱われているはずの人たちは目つきが鋭く、一番弱々しいのはハイダルで、ファザー・アマンなのだ。
終盤のしょうもなく強者が弱る展開は、見ていて家父長制の限界すら感じる。
起因は人の命が失われたからで、余計に辛い。
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