映画「
ファーザー」にノックアウトされた余韻で空虹さんを誘い「
Le Fils 息子」@東京芸術劇場見ました。
終わりしな、空虹さんに言われたのは
「
これでハッピーエンドだったら、アンタ殴ってたね 」
でした。
暴力反対!
とはいえ、その気持ちはわからではなくて、全編不快というか、不愉快というか、気持ち悪いというか。
決定的に「古い」ことが一番な理由かなぁって気はする。
不登校にしろ、鬱にしろ、設定が20世紀か200X年代のように見えて、
今時それはねぇーだろ!と思ってしまい、時々仰け反る。
原作がそういう設定だとは思うんだけど、訳者が古い人なんじゃないだろうか?価値観とか倫理観。
演出が本公演と同じ人なので、海外の、フランスの倫理観に基づいてはいるはずだが・・・
隣の空虹さんが
「
最悪 」
と、精神科医(浜田信也)が主人公ニコラ(岡本圭人)を怒鳴りつけたシーンで呟いてらっしゃいましたけど、たしかに今時あの演出はない。が、精神科医は登場時に
「
わたしのことを信じてください 」
と、芝居全体として「薄っぺらい人」台詞を吐いていたので、そういう人だと解釈すれば納得いくんじゃ?と話したら、納得してらした。
前述の「最悪」仰る直前には父親ピエール(岡本健一)の態度に対して、
「
一生悔やめ 」
仰ってたので、ある意味、空虹さん期待通りの展開ではあったかと(よく考えたら、スゲェ空虹楽しんでんじゃんか)
つか、だいたいにして「信じろ」という言葉ほど、信じられない言葉は無いですよ。ええ。
僕らは、もうすこし言葉を探して使い熟すべきなんです。
それを踏まえて、「お前を信じる俺を信じろ」から「お前が信じるお前を信じろ」と進化させた、グレンラガンの中嶋かずきは脚本家として卓越している。
それはそうと、もう一個しんどかったのは、
ほぼ全編、登場人物が怒ってることなんですよね。やはり。
怒りの暴発はわかりやすいのだけど、ハイカロリーだし、俺は怒りっぽいクセに、ここ数年、他者の怒りに敏感症なので、どうもしんどい。
客が笑ったシーン、まだ、踊ってるとこはアレだけど、もう一個のとこは、笑っちゃいけないシーンだしで、なんだか。
会場はキャパ半分ぐらいの動員で、若い子がそれなりに多いなとは思ったけど、岡本圭人目当てなんですかね?
全然意識していなかったから、終わったあと気づいたよ。
親子共演!一番の売り文句だったんじゃないか・・・
あとは、なんとなく甥っ子のことを思いました。
あの手のパターンは、当人は理由を考えたことがないので誘導尋問でいいから、理由を誘導しないと、あの程度の賢しい子になるんだぞ。って気がする。富野御大なら、間違いなくそう言う(待て)
ただまぁ、空虹さんが
「
生きてる意味なんてあるわけないんだよ。考えて生み出すもんなんだから 」
とか
「
死ねないから生きてるだけに決まってんじゃんね 」
とか仰ってたので、「惰性で生きてる」を公言する闇が安定した人は違うなぁと。
あとそう、構造として「ファーザー」が「『なんだかわからない人になった』と見られる側の話」だったのに対して、この劇は「『なんだかわからない人になった』と見る側の話」だったのが、逆転の構図かなぁと。
そうすると、「ファーザー」で象徴的に使われていた「扉」に対応するのは、やはり「窓」かなぁ。
そして、「窓」が1シーンだけ隠されることがあって、そこから空虹さんの機嫌がどんどん悪くなるという(苦笑)
ただ、「窓」を印象的に見せる舞台転換が印象的な舞台で、空虹さんはそこも含めて、照明が印象的な舞台とのことでした。