ジョディ・フォスター老けたなぁ。
思いつつも、しかし、このような歳の取り方ができるなら、良い人生だろうなぁとも思った「
モーリタニアン 黒塗りの記録」見ました。
君らみたいな子らがデートコースムービーで来る類の映画でも席でもないのだけど、
なんで君らそこにおるん?と思う歌舞伎町。ゴジラの下。
それはともかく、結果、まったくもってデートには不向きだった内容だけど、彼ら彼女らは、その後、大丈夫なのだろうか?いらん心配をする映画。
久々に終わったらぐったり。なんだよ。
超重いじゃないか!
期待通りに、期待以上に、ジョディ・フォスターとベネディクト・カンバーバッチがガップリ四つな構図を取った演技が素晴らしい。
ジョディ・フォスターのナンシー・ホランダーは「
由宇子の天秤」の瀧内公美の上位互換みたいなドライさと人情。
そりゃ、ゴールデングローブ取りますよね。
製作も兼ねるベネディクト・カンバーバッチのスチュアート・カウチ中佐が背負う、ベネディクト・カンバーバッチらしからぬ(?)清廉さ。
しかして、真の主人公たるモハメドゥ・ウルド・スラヒ役、タハール・ラヒムが、さらに上を行く素晴らしさ。
なにこの人?
無茶苦茶名優じゃん。
もちろん、スラヒ本人の人徳というか高潔さがあるのだけど、じゃあ、生き写したかのようなタハール・ラヒムの芝居は見事なことこの上ない。
この原作の重力崩壊しかねない重さを、脚本も見事に刈り込んでいて、そして監督の映画設計が抜群。
物語に入り込んで見がちなので、迂闊にも中盤まで気づかなかったのだけど、回想の画角が正方形なのは拘束されているからですよね。グアンタナモに。
独房に。
んで、その画角を利用して、拷問シーンと現在との交差が、ナンシーとカウチ中佐がその事実をするシーンと重なって、
参りました!っていう。
現実に映像で流れてるシーンは
ザ・拷問でもあるので余計に。
例えばの話、じゃあ、自分だったらと考える。
実際にはキツいらしいけど、いちお、毎年爆音の中で寝ていたりするから、ヘビメタを垂れ流されるのは屁でもない(ちなみに、カウチ中佐が独房見学中、急にヘビメタが流れたのは、
つまり、そういうことだよね!)
暴力や身体拘束はもちろんキツいけど、マチズモを持ち合わせてないので、女性兵にレイプされるのも、そこまでダメージはない(つか、
女性兵にそんなことやらせるの?アメリカ)
母親を逮捕した話は胡散臭いことこの上ないので、やっぱり睡眠だなぁ・・・寝れなかったら、従うかもなぁ・・・眠気に勝てない人生。
いや、そうじゃなく、そこまでアメリカを追い詰めたのは、再三作中言及されているとおり、
恐怖なのだ。
人権派弁護士だったオバマが拘留を継続させたのが言わずもがな(議会の反対らしいけど)
じゃあ、そこで神へ祈り続けるのが正しいのか?信仰心でもって生き延びるのが幸福なのか?はある。
すくなくとも、グアンタナモで死んでしまうよりはマシだ。
正義のために心をやられかねないから楽園を用意する矛盾に世界は目を瞑る。
マスクを外した女性尋問官の疲弊した顔が象徴的だ。
「正義」だって信仰だ。
いやさ、
信仰すら恐怖とともにある。
でなければ神は脅迫を必要としない。
神は試さない。
アルカイダもアメリカも同じ穴の狢であることは自明だ。作中でいえば同胞だ。
デモする右翼が暴力でテリーの裁判所入場を妨げるシーン、どこに正義はあるのか?
「裏切り者」と言い切る海軍のどこに正義はあるのか?
そもそも、信仰が無ければ、9.11は起きなかったのでは?
資本主義がソ連を、アフガニスタンを呑み込もうとしなければ、9.11は起きなかったのでは?
資本主義だって信仰だ。
なので、最大の見せ場である証言シーン(リモートであるが故に、観客へ語りかけるカットにできた巧妙さ!)で彼が言った
「
アラビア語では、自由と許しは同じ言葉です 」の意味は深い。
おそらく、許すことだけが自由を獲得できるのだ。
許せ。
許せ。
ちなみに、パンフの舟越美夏の寄稿が素晴らしいので、必読。