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ナルニア国物語 第1章 ライオンと魔女唸るバクテリア2006/03/19★★★

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想像力には根拠がない。
従って、どんな違和感も実体としてそこに存在してしまえば、簡単に置き換わってしまう。
その極端な例が「指輪物語」の映像化だった。

そんなわけで、「ナルニア国物語」
この映画のベストはなんたって「指輪」が「ロードなんたら」とヒドい邦題にされてしまったのに対して、書名そのままのタイトルがきちんと付与されたところにある(笑)
良かった。字幕が戸田奈津子じゃなくて!
もちろん閑話休題。
実は白い魔女のツンデレっぷりを見る映画だと思っていた(笑)のだけれど、ちがくて、やんちゃGIRLルーシーの冒険記を見る映画だったわけですよ。
従って、それ以外の、ことピーターなんて邪魔者以外の何者でもない(笑)
それぐらいルーシー役のジョージー・ヘンリーが魅力的だったってことなのだ。うん。

さて、枕を受けての本題。
物語の中で英雄はライオンである。エルフでもドワーフでもドラゴンでもない。現実に実在する「百獣の王」ライオンである。
この事実自体に異を挟むつもりはない。
問題は、そのライオンがCGなところにある。しかも背景のほとんどはCGではなくニュージーランド
ここで思い出されるのは「指輪物語」である。なんたって一昨年の映画だし、同じNZで撮った映画だし。CGは両方ともWETAの仕事だし。
あの映画の中に出て来るのは架空の世界「中つ国」で、現在の時点で観測される地球上に存在する生命は登場しない。
だから、CGが多用される。ゴラムはその象徴だ。
戻って「ナルニア」の象徴たるアスラン(not ガンダムパイロット・笑)は実在するライオンである。
想像力には根拠がない。
従って、どんな違和感も実体としてそこに存在してしまえば、簡単に置き換わってしまう。
しかし、実在するライオンに想像の入り込む余地はない。なぜならそこにいるのだから。
もちろん、厳密には想像の入り込む余地ばかりなのだけれど、でも、その想像はゼロからの想像ではなく、たとえ動物園でのびていたライオンだとしても、実物の、生臭いライオンから受けた経験に基づく想像なのである。
残念ながら、U・Bにはアスランと名付けられたライオンから、冒険に同行したビーバーから生臭さを感じなかった(ちなみに、犬や馬からは時々生臭さを感じた)

一度生臭さの無さに気づいてしまったら、背景との合成しきれてなさにばかり目がいってしまって、物語に集中できない。目の前の映像が嘘であることをつまされてしまう。
だから、劇場にいた誰もが、サンタクロースとカーク教授の区別が付かなかったりしたのだ。
「そうはいっても、お前は『キング・コング』を評価してたじゃないか!」
ええ。しましたとも。でも、普通ゴリラはあんな大きくないぜ(笑)
ただ、もひとつ言えることは、それだけファンタジィ映画は監督の資質に依存するってこと。
しいてもう一つ言えば、所詮ディズニィ映画ってこと(ドクロ)

じゃあ、この映画に価値はないのか?
そんなことはない。最後の最後。エンドロールも含めたラスト10分間に価値はある。
なぜなら、彼らペペンシー兄妹と、我々観客はそれだけの時間を過ごしたから――

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