アカデミー賞名物のサーチライト・ピクチャーズ。
FOXが無くなって寂しい限りのサーチライトだけれど、アカデミー最有力の呼び声高い「
ノマドランド」見ました。
だからどうしてこのご時世であえて俺の隣に座る?席取り的に、好ましくない感出してただろうに・・・
それはともかく、孤独と家族の映画なぁと。韻踏んでるけど。
良い風景がずっと眺めてられるので、それだけでも金を払う価値がある。ポイント使って、無料で見たけど。
いやね、準急にも書いたけど、
荒野に人が集まって、キャンプして、みんなで朝焼け見るとか、それ、なんてRSR?って思うじゃないですか。
RSRなにしに行ってるって、朝焼け見に行ってんだよ。俺。
改めて気付いた。
世界で一番大事な景色は朝焼けだ。
ああ。帰りたい。帰りたい。帰りたい。
つまり、ノマドを選択するということは、常に非日常を過ごすということ。
そうじゃなく、淡々と言葉足らずのまま展開されるのだけど、言葉足らずな感じは、見てる内にどんどん、イーストウッドの「
運び屋」感すら出てきて、タバコ吸い出したら、フランシス・マクドーマンドがイーストウッドに見えてきたり。
作中で主人公ファーンの姉が言ったのがまさしくだけど、ノマドな生活はアメリカ的なんだよね。うん。
ノマドな自分でも好きだと言ってくれた男との安定した定住より、不安定で自由な漂泊。
いきなり立ちションにはじまって、うんこだけじゃなく、まさかフランシス・マクドーマンドの全裸まで出てきたので魂消たのだけど、しかし、圧倒的な食事の数々と、一年が巡って、誰かが死んでいる・生きていることは、そういうことであるという事実。
生きることとか死ぬこととか。
んで、エンドロールのクレジットを見ていて仰け反る。
ホントのホントにノマドの人たちが出演していた事実。
オフィシャルに記載されていた
実在のノマドたちのなかにマクドーマンド自らが身を投じ、
彼らと路上や仕事場で交流し、荒野や岩山、森の中へと分け入っていく。
に1nmも嘘はない。
旅をすることでしか、旅をしないと生きていけない人々はたしかにいて、辛い想いとか当たり前のように抱えて生きている。
「
また。どこかで 」
最後の最後でカミングアウトされる事実というか、でもわかっていた事実を改めて晒し合う朝。
そして、帰る街。
消滅した集落は空虹さんが詳しいのだけど、頭の中でずっとアナログフィッシュの「荒野」がかかりながら、しかし、結局、俺は赤平捨てちゃ駄目なんだろうなぁ。
などとも考える。
帰る場所は、きっと、この世に存在しない。
存在しないんだ。