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作品名記述者記述日
オールド・オーク唸るバクテリア2026/06/19★★★★

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「スーパーマリオギャラクシー」の公開日を完全に失念してたのもあり、新宿武蔵野館で「オールド・オーク」を見ました。
前の列に頭デカいオッサンがいて邪魔くさくてたまらない中、しかし、7割方埋まりぐらいなのはさすがケン・ローチ。
記憶が正しければ初ケン・ローチにして、劇場公開作は最後と言われるラスト、ケン・ローチ。
凄い終わり方してビックリしたぞ。ケン・ローチ。

でさ、とはいえどうしたって、誰かが死なないと善意は具現化しないのか?とは思う。
まったく登場しないキャラの死であっても、そこに広がる漣は確かに連なる。
おそらくきっと、一度の、数度の経験は絶対的に刷り込まれるのだ。
それは信じられる。
友情は敬意が不要なわけではなく、時に嫉妬と化すが嫌われたいわけではない。
もちろん、わからないヤツはずっとわからなくて、わからないヤツと和解するわけでもない。そもそもシリアはまだちっとも落ち着いてないし、アサドは糞野郎だし、御しきれない大型犬がやらかしたことに責任を取らないとか、カメラ壊したこと詫びすらしないとか、ホント、田舎の人間大っ嫌いだ(舞台が元炭鉱町だったので過剰に感情移入)
あと、イッヌが痛々しくなる映画だって、誰か宇垣さん観る前にちゃんと伝えておいて!

中盤以降、映像というかシーンは韻を踏んで展開される。
わかりやすいところでは、墓参りからの最愛の友の死なのだけれど、その後の埋葬するまでがセットになる。
海は父の墓で、己が死のうとした場所で、親友の墓になる。
そして、新しい友人の不幸を聞かされる。
ひとつの場面は必ず他の場面を伴って存在し、無駄の無い極めて映画的な映画。
なるほど。これが名匠の腕前かと唸らざるを得ない。
完全に映画ウマ男の仕事。
若干都合の良い脚本には見えるけれど、説明しすぎない台詞運びは脚本の良さで、でも、流石に主人公TJ ・バランタイン as デイヴ・ターナーの感情溢れてる時は箍外れた感があったので、そこはちょっとtoo muchにも感じた。
あと、スコットランドの映画で主人公バランタインって!とは思った(ウイスキー脳)
ともかく、繰り返すけど、ラストシーンからエンドロールの流れは、なにも台詞になっていないのに伝わりすぎて涙を誘う。
ネトウヨどもの頭の悪さは、あそこまで来るとバッドユーモアという気もしないではないので、もうちょっと善きことに使えればいいのにと思うのだが、日本赤軍もそうだけど、思想から行動に移すと倫理は蔑ろにされるんだよなぁとか。
倫理って言葉嫌いだけど
そしてなにより、実は前週に見た「今日からぼくが村の映画館」同様、この映画も大半の出演者はゼムセルフなのである。
ビックリ。
無論、シリア人難民役はシリア人に求められるのは仕方が無い。
ヤラ役のエブラ・マリは抜擢されたらしいのだけど、見事にヤラ自身であった
と、同時に他のシリア人難民も全員ちゃんとシリア人であり、そもそもデイヴ・ターナー自身がケン・ローチと一緒に調査してたり、ローラ役のクレア・ロッジャーソンはホントに慈善団体の人だったり、町の人たちがスコットランドの人たちなのである
とはいえ、主人公級は全員オーディションしているのだけれど、そこに流れる空気は演出の必要がないぐらいナチュラルに田舎なのだ。
ある意味で、コストが掛からない手法でもある。
で、あるからこそのエンディングなのかな?という気もする。
あのすこし苦い祝祭は、しかしてきちんと祝祭なのだ。
愛を恥じないで

にしてもだ、なんで電気入れた瞬間に俺はあんなにビックリしたのだ?(老)
ちょっとしたホラーに対するリアクションだぞ。あれ。

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