| 作品名 | 記述者 | 記述日 | 星 |
| 機動警察パトレイバー2 the Movie 4K | 唸るバクテリア | 2025/12/11 | ★★★★★ |
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でだ、2025年にこれを見るってのは、どういうことかと考える。
もうちっと言うと、「シビル・ウォー」との違いを考える。
既に分断・内戦の状態ではじまる「シビル・ウォー」に対し、分断を生むところからはじまる「パト2」
この差はなんだろうか?というのが最初の問題意識。
もちろん、トランプ後の世界で分断からはじまるのは当然なんだけど、むしろ、本質的にアメリカは分断の上に成り立っている国。という方が適切ではなかろうか?
そもそも「シビル・ウォー」の語彙は南北戦争に起因する。
一方、「パト2」は内戦の必要性に言及する。
戦争はヒッソリはじまる。
実体になるまで見て見ぬフリをすると突きつける。
極めて日本的と感じる。
緊張感が必要だ平和ボケ!と叫ばれ続ける国家は、しかし、アメリカの戦争を背景に経済成長をしてきた事実もある。戦争は他者がいないとできない。言わずもがな。
じゃあ、日本に他者がいないのか?
そんなわけがない。
と、南雲さんを中心に展開する物語は、如実に描き出す。
後藤隊長の優しさみたいなモノは、思わず1カ所だけ涙がこぼれたのだけど、間違いなく他者を受け入れることに起因する。
南雲さんだって他者なのだ。
そう考えると、もちろん物語構成上必然でもあるのだけど、「シビル・ウォー」が仲間が決して増えない映画なのに対して、「パト2」は仲間が増える。あるいは(ポンコツでも)アベンジャーズが集まる映画なのだ。
そこには明確に他者が必要であることが描かれる。あまつさえ、集まるために対立が描かれる。
これはなんなのか?
ある種、これも極めて日本的ではあるのだけど、柘植が最後、口にした台詞にすべては託されている気もする。
なんだかんだで、押井守という人は他者に期待している監督なのだ。
いや、ヘッドギアまでカメラを引けば、人を描きたい人たちばかりじゃないか!
もちろん、南雲さんと柘植の対立は描かれるのだけど、オープニングで野明と遊馬が私有地とはいえ警官のクセに自転車2人乗りしてるのなんか見ると、そこにも対称関係を置いているのだ。
だからそう。
平和ボケと言われても、性善説を信じたいじゃないですか。人間を信じたいじゃないですか。
なんてことを考える。
それにしたって、どうしてこう我々は榊原良子が好きなのか!
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