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作品名記述者記述日
WXIII PATLABOR THE MOVIE3唸るバクテリア2002/04/30★★★★

本項におけるU・Bの評価は基本的に好きな気持ちが前面に出過ぎてあてになりません。
なお、ここでも若干内容に触れてますので興味のある方はどうぞ。

帰りの車中、友人にきちんと答えきれなかったので先に答えを書こう。
今回、もっとも相対化されたのはカテゴリであり、アニメであり、虚構なのですよ。畳まない大風呂敷を広げるなら、過去のパトレイバーシリーズでもっとも文学的命題が核だったとU・Bは認識してます。

さてさて、四捨五入して10年かかったパトレイバーの劇場版。リアルタイムで見ていた餓鬼どもはそれ相応に歳をとり、ファンクラブにいた人間は揃いも揃って職業人になってるわけなんですが、そんなことさっぱり抜けちゃうぐらいおもろかったです。
やっぱりねぇ、邦画で見れるのは特撮とアニメしかないよ。マジで。結局クドカンの映画が評価されてるのも表現としてマンガ的手法を使ってるからなわけだし、マンガ原作使ってるのも間々あるわけだし。
あっ、話が逸れちまったんですが、原案にクレジットされてるゆうきまさみがオフィシャルで述べてたように、ウルトラマンを原作に怪奇大作戦を作ったらこんなふうになりましたって感じ。
宮崎駿がここら辺を「第一コピー世代」と称してますが、そりゃねぇ、円谷で成長してアニメとともに大人になった連中が単にリスペクトを形にしてるだけだからね。それをやっちゃわないことにはオリジンが作れないと思うのですよ。もうちょいツッコミを入れると、宮さんとか富野さんとかが必死で映画的手法を用いて、アニメの市民化と映画へのリスペクト(厳密には未練だよな・笑)を表明したのと同じことだと思うんですね。
ここで庵野を筆頭とするコピーのコピーあたりの話をすべきな気もするけど、これ以上は本題からずれるし、ならウチらの世代はどうなのかと問われると、少年マンガを見る限りはパクリしか見当たらなく(でも、好きだぜ>矢吹)、少女マンガとミステリではボーダレス化が進んでるだけ。でも、コピーすらできずに勘違いして、オリジナルを主張するクズよりはマシじゃないですか?>宮さん
これは萌え属性が飯の種になるってだけで乱造してしまった各出版社にも責任があるんだけど、買うバカしか育てれなかった日本の教育やクリエイタにも責任があるわけで、って、この手の責任転嫁は卑怯だからこれ以上は書かないのだった。
ウチらの世代がいつパラダイムシフトさせられるか(その前に、まずここまでに存在してきた名作へのリスペクトとケリを付けなくちゃいけないんだけどねぇ・遠い目)が観察者としては楽しみ。なんとかその動きの中に入れれば万々歳ってとこですかねぇ。飯の種にもなるし(笑)だいたい、今トップにいるアニメライタの名士たちはみんなその渦にいたから残ってるだけじゃん(でも、無茶苦茶書く文書が好き・笑)

いや、こんなところで世代論を繰り広げてもしかたないんだよ。クロスフェーダでやるつもりだったネタだし。そうじゃなく、うんとですね、あらすじ書くつもりだったんですよ。今。ガッツシ端折って書くと、母の愛と日常の崩壊ですかね(ヲイ)

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パトレイバーの世界はあくまでも虚構で、まだ昭和なのです。

これを念頭に置いて見ないと絶対読み間違えるでしょう。現代と、ほのかに香る懐かしい匂い。
クレしんの「大人帝国」が過去へのリスペクトだとしたら、この映画は過去が正常進化したらのif・・・(いや、厳密には正常進化したからこんな時代になったんだけど、まぁ、言葉のあやってことで)
まず、第一の箱がこれ。つまり、時代設定。まぁ、高山さんがパンフ(ちなみに、このパンフが超豪華なライタによって制作されてるところに、この映画の本質があるとU・Bは見る。つまり、敢えて言うけど「ロートル」を召還するだけの匂いをこの作品が持ってるってことね。あと、この面子が豪華だと理解できないヤツは不勉強すぎだから、ケツ洗って出直すように)で語ってますけど。

脚本を書いたとり・みきが言うように、前述したゆうきまさみが言うように、この元ネタは怪獣モノ。ここら辺の言及はパンフの野崎さんに詳しいです。さすがです。
でも、それはあくまでロボットマンガにおける怪獣モノなわけで、この時点でカテゴリが入れ子になってるのですな。
第二の箱。第三の箱。つまり、ロボットという箱と怪獣という箱。

んで、これが見た目にもっともわかりやすい、つまり怪奇大作戦になっっちゃった一番の理由なんだけど、第二小隊視点ではない、高山さん言うところの「メロドラマ」だってこと。
第四の箱。この映画は、何度も出てくるけどパンフでゆうきまさみや中島さんが書いてるようにパトレイバーの世界で上映された実写の刑事物映画(協力:第二小隊)

んで、第四の箱のところで実写って書いてるところがミソなんだけど、第五の箱(と言いきっていいいかどうか自信はないのだけれど)はそのものズバリ、アニメという箱。

これら五個の箱がマトリョーシカのように入り組んでいて、第五の箱は実は第一の箱を取り込んでいるという無限ループさ。
うーん、書いててクラクラするなぁ(笑)
つまり、パンフのライタ各氏が書いてる「乖離性」と「リアリティ」の追求のために、話を煮詰めてくウチにどんどん脱構築しちゃって、9年経って完成品を見てみたらアニメまで脱構築してしまったアニメができあがっちゃった。そんな感じ。
だって、そうでじゃなきゃ、わざわざ照明だけのカットをセルに起こす必要ないじゃん。実写じゃあるまいし。
まぁ、現在のアニメ監督で最前線にいる人たちはこういうねちっこい実写ナイズされた演出が大好きなんだけど(笑)

でもなぁ、おいら的には墓参りとその前後のカットはいらなかったなぁ。あれなかったら★5個つけたんだけどなぁ。
いや、U・Bが演出を理解し切れてないってだけで、もの凄い意義のあるカットかもしれないけど、でも、結局はタバコ吸わせたかっただけにしか見えないんだよなぁ〜


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