巻頭言
なにかアタシの知らないところで盛り上がってたらしいのだけれど、なにをもって「リミックス」と呼ぶのか?
音楽的にはマルチが、ギターやらドラムやら歌やら、いろいろと素材があって、それを抜き差し足し引きまぜこぜしたものを指します。
アタシが初めてであったリミックスはスチャダラパーの「サイクル・ヒッツ〜リミックス」
なんの予備知識もない北海道のド田舎在住中学生に暴力温泉芸者はキツかった!
今となっては良い思い出です。
閑話休題。
素材を並べ直すのがリミックスであるのなら、五十音で表現されるすべての物語はリミックスである。
ある種の極論としてこう言い切ることは可能だろうし、SF界隈ではわりとありがちな話。チューリング・テストな発想。
でも、そんな大上段に考える必要は無い。
超短編は短い話であるが故、物語の「構造」を考えやすい。
その物語が物語たり得るのは何故か? 作者がそれを物語と判断したのは何故か? 読者が物語を感じるのはどこなのか?
なにを面白いと感じたのか?
超短編のリミックスを考える時、要素であり素材は読者であり作者である作家が、なにを見出すかに依存しています。そこにあるガジェットは楽器に過ぎないし、コンテキストはコード進行に過ぎないという理解です。
昔、小山田圭吾がこんなことを言っていました。
だからリミックスを受けるときに、まず自分が見つけようとするのが、その原曲に自分が入っていける余地がどれだけあるのかってこと。単純に好きな曲だからやりたいってことだけじゃなくて、そこに自分の取りつく島がどれだけ見つけられるかっていうの が重要なんだよね。
(ナタリー - [Power Push] CORNELIUS)
文学とか文芸とかが今なにを考えているのか、よく知らないのだけれど、「リミックス」って概念は輸入されたものだろうし、ヒップホップ的な文脈、音楽史的な文脈での「リミックス」に固執することはヒップホップ的ではない。
過去や歴史はリスペクトすべきだけど、リファレンス以上に信仰してはならない。
超短編にとっての「リミックス」って概念は、超短編がそうであるように、作られて行くものです。作るものです。
大事なのは、楽器やコードを使って、なにを鳴らすのか。
入っていける余地を、とりつく島を探してみませんか?
前回から参加作品が増えました。ありがとうございます。
ホントは10作超えないと第1回をはじめないつもりだったのだけど、永遠に分数のカウントアップを続けて、最後「コトリの宮殿」みたくなりそうなので、腹括りました。
その代わりってわけじゃないけど、応募が5作を下回ったら止めます。
なお、掲載は受信順です。
夜の森線(不狼児リミックス)
作品
「ほら。ここが僕のふるさとだ」
彼は錆びた消火栓の裏のゴミの溜まった路肩を指して言った。
雑居ビルの陰になった日も差さない路地の突き当り。湿ったコンクリートは黒ずんで、罅割れたモルタルのかけらも落ちていた。土埃にはガラスの粉も混じっている。
成人式の一週間後、彼は私にふるさとを案内すると言った。
ここがそうか。
振り向くと高圧線の鉄塔が見える。
「母は僕を産んですぐに、あそこで首を吊ったんだ」
近くに駅の変電所があるのだ。鉄塔は町外れから田んぼの中、道路ををはさみ、山肌を登り、延々と線を引いて連なっている。
「高圧線は母のふるさとまで続いている」
二十年。過ぎたのだ。街は廃墟のように静かで人の気配もない。
駅には塵が積もっている。
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金1,300円
元ネタは、歩道橋でボンヤリと思ったことから端を発したもの(ちなみに、埼スタとか行く度に同じようなことを思う)に、後付けでストックからタイトルを見繕ったものだから、アイロニィというか風刺としての要素が弱い。
空虹作としては、タイトルとの距離感はあの程度で良いのだけど、一般的なタイトル解釈としては、これぐらいの距離感が相応しいんじゃないかなぁ。
郷愁よりもさらに一歩踏み込んで「切ない」良い物語。
20年後、アタシは50歳となっている。
愛玩動物(自由部門) 作者:たなかなつみ
作品
水際に立っているとやって来て、くれろくれろと水中から手をのばしてくる。鬱陶しいので土を蹴ってやると、痛かったと見えて、ばちゃばちゃと水音をさせ、あっという間に岸から遠ざかった。そして遠くのほうからもの欲しそうにこちらを見ている。期待でそのカタチがぱんぱんに膨れあがる。そして萎む。膨れあがり、萎む。膨れあがり、萎む。
その細い眼で、じっとこちらを見ている。
人であれば自分を愛玩して当然なのだと、そう思い込んでいる様が片腹痛い。誰もおまえに教えてやりはしないのか。おまえは醜い。ごてごてと歪に膨れた皺だらけででこぼこの塊。皺の隙間から細く、濁った水の色をした瞳が垣間見える。
なぜ自らを愛らしい存在だと思い込んだのか、誰がおまえにそう教えたのか。おまえは身の程知らずの自己像に拘泥したまま、その醜い姿で人に媚びへつらい生きようとする。
じっと立っていると、そろりそろりとまた岸に近づき、その細い濁った目で見つめる。
自らには愛らしいところなど露ほどもないということを、この生き物は知らない。
コメント
金1,000円
これが届いて、読んだタイミングでは、一行目からして空虹disとしか読めませんでした。
にもかかわらずお金を払うのはおかしく見えるかもしれないけれど、「マゾ」とかなんとか安い言葉で形容されたくないな。
懲りもせずに「ヒップホップの文脈」なんて言葉をアタシが使い続けるなら、アタシはこの物語へビーフを挑むべきでしょう。
愛玩動物 Feat. RHYMESTER
君は疑わなくて良い。電子コンパスは常に北を指し、GPSは地球上に君を固定する。温度計は「冷えている」と訴える。
他人の話は素直に聞くべきだ。こんなことを言うのは君のためだ。危機感だけを一方的に煽るだけの輩が言うことを信じるな。下手に出ても、上から物申されるだけだ。遠く飛んでも怪我をするだけだ。ただちに健康への影響は無いのだから。
「余計なお世話だバカヤロウ」
そんな荒ぶる言葉に耳を貸してはならない。君のためだ。君は検査を通過した健やかなものだけを取り込み、朗らかにバカヤロウも言えない世界を生きるのだ。水蒸気に曇る内視鏡で、60cmしかない水を確認するような無粋はいけない。振り返った時、じわじわと後から効いてくるものだ。
生きるために殺される愚を犯さず、死んだように生きるのだ。半年前のネタで半笑っていろ。死んだように生きれば良い。確率の海に溺れ、死因が特定されなくなるまで、死んだように生きれば良い。
言うわりに上手くないあたり、自分のキャラが装いきれてなく、面目ない・・・
夜の森線(たなかなつみリミックス)
作品
田舎の村が夜逃げしてきた。なんでも、道祖神の怒りを買った馬鹿な村人がいたそうで、立ち退きを命じられたのだという。世知辛い現代のこと、気の短い道祖神にも困ったものだが仕方ない。ぼくはその村をひきとることにした。
さりとて、ぼくにしたってこの街では六畳一間の仮住まい暮らし。村人全員を受け入れるのは辛いところだ。とはいえ、かれらだって他に移るところがあるわけでなし。ぼくは雑多なもので埋まっている押し入れに隙間をつくり、かれらに明け渡すことにした。近くの公園で木の枝や土を拾って差し入れすると、かれらは木の枝を小さく切り、土を塗り固め、家をつくり、道を敷き、あっという間に押し入れのなかにミニ村落をつくりあげた。
ぼくは押し入れを開けて行ってきますを言い、ただいまを言う。村人たちは大工仕事をしながら、煮炊きものをしながら、気をつけて行っておいで、ようお帰り、と声をかけてくれる。村の奥には雑多な森。村と森との境には新しい道祖神がまつってある。
ぼくの部屋の契約書には、村を飼ってはいけないという文言はない。ぼくの村は合法的に存在し、数多の村人の生活を支えている。
コメント
金300円
この物語も上手いこと風刺を織り交ぜて、もしかしたら説話とか童話とかのクラシックたり得るのかもしれない。
相応しいのかどうかは今ひとつだけど、以下も超短編界隈ウケが良さそうな物語とも言える。
だからこそ、アタシのために書かれた感が薄い。
もうちょっと突っ込んだところで言うと、たとえ風刺としての「村落」だとしても、描かれているモノの肌感は、アタシの中にある言葉では「集落」の方が相応しい。
大学時代、インタヴュをして回ったあの山村や、あの漁村の方が近しい。とある開拓集落の畑の中、ポツンと木々に囲われたお社を見た時の感覚のが相応しい。
この世には自分達の住む集落を「部落」と呼んだら、他人事にも関わらず目くじらを立てる人がいっぱいいるなんて思いもしない、愛らしいおいちゃんやおばちゃんがいる。って、知らない人が書いた話に読めてしまったのでした。
風吹く競技場(自由部門) 作者:氷砂糖
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物語に満ちているリアリティに対して、主人公の感情が今ひとつ見えてこない。
愛情の物語だろうか? 嫉妬の物語だろうか? それとも、青春の物語だろうか?
オープンエンド的に、読者へ投げた物語と読むことも可能だろうけど、作者はきっと伝えたい感情があるだろうと確信する。
が、しかし、このタイトルにアタシは戦う物語を期待してしまいました。
たとえなにがあったとしても、そこで「風」になんか縋らないで欲しい。
まだ走れるから。まだ戦えるから。向かい風へ立ち向かう貴女が好きです。
達観した女の子の物語も好物ではあるけど、より好物なのはそれでもなお戦う女の子の物語です。
だって、なんだかんだ言っても負けたくないんでしょ?
夜の森線(はやみかつとしリミックス)
作品
ビルの谷間で、ブレーキランプが電流みたく順番に灯る。
かつて毎日当り前のように、部活帰りの途中で眺めた風景。
ビルの谷間で、ブレーキランプが電流みたく順番に
灯らない。
遮られた流れ。
一つだけ、壊れて点かないブレーキランプ。
あそこ?
うん。
あの先は、つながっていない。
ビルの谷間で、感傷のふりして私の心を突き刺すものがある。
帰れない。二度と。
それは文字通りの意味以上でも以下でもなく。
コメント
金200円。
わかりやすいリミックス。スタンダードと言っても良いかな。
元ネタをきちんと咀嚼して、必要な要素で自分の物語を紡ぎ直してる感がある。
ただ、と、接続詞を用いる。
個人的な趣味として、改行の多用っぷりが好きになれないってのはあるのだけど、それよりなにより、モノマネとカヴァが異なるように、並び替えることとリミックスは本質的に異なる。
求めているのはリミックスであって、焼き直しでも焼き増しでもない。リミックスはカヴァじゃない。
そこから先へ、踏み出せ。
父の日(自由部門) 作者:不狼児
作品
幼い頃、僕は亀を飼っていた。
父は亀の甲羅を叩き割ったその手で僕の頭を優しく撫でた。
学校が早く退けた午後。
家に帰ると、五年前に死んだ祖母の布団を包丁で何度も刺している母の姿を見た。
母は赤ん坊を刻みキャベツで洗ったこともある。キャベツの上にいる赤ちゃんを姉が見つけて、何をしてるのか訊ねたら、洗っているのと答えたそうだ。あれはどこの子だったんだろうね、と姉は呟く。
僕が生まれた家は父が育った家で、柱には背の高さを測ったのではない傷が無数についている。
作文にそう書いたら、父にひどく怒られたのを思い出した。
春休み。姉が物置で首を吊った。
夕方、見たことのない女の人が腹の下に大事そうに何かを抱えて、家から出ていった。
母が病院で亡くなったのは先月のこと。
昨日。僕は死んだ。
両足が釘で道路に打ち付けられていることも知らず逃げることも出来ないまま車に轢かれたのだ。
今日は父の誕生日だ。
おめでとう。
コメント
金500円。
個人的な趣味として、やはり改行の多用っぷりが好きになれないのだけど、それ以上にこの物語は「試されている」感がある。
「超短編のパトロンって、どこまでお金を出す気があるの?」
直接的に言えば、そんなようなことを試されているように読めた。
狂気は好きです。
かつて、ツインターボと畠山直毅への憧れを綴ったことがあるけど、狂う勇気の無いアタシは、アイデンティティの消失がなによりも怖いアタシは、常に狂気への憧れを抱いて生きています。
こうやって、普通に狂っている世界なら、狂っていることこそがアイデンティティなのだなぁという納得に対して、お金を払います。
目石(自由部門) 作者:不狼児
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この物語も「試されている」感がある。「父の日」を取ってこちらを取らないのは、ひとえに趣味の問題なんだけど、ガジェットが物語の中で生ききっていないかなぁ。
せっかくいいガジェットなのになぁ・・・
目は見るもので、見続けたのであれば、なにを見るのか/見たのか/見うるのかが物語られて欲しいところ。
みぎわ(自由部門) 作者:もち
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今回一番の悩みどころ。値付けするか否か・・・
ぶっちゃけた話、
> からり。からり。
を許容できるか否か。そのただ一点に掛かっていると言っても過言ではない。
それ以外の要素を読み切れている自信はまったく無いのだけれど、どちらかと言えば詩かなぁと言う後味もある。
であれば、アタシが読み切れるものではない。
ただ、う〜ん・・・音もリズムもいいんだよなぁ・・・
からり。からり。かなぁ・・・
花葬(自由部門) 作者:氷砂糖
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良い物語なんだけど、いかんせん第3段落が微妙すぎる。
これ単体か、あるいはこれの無い物語であれば、理解しやすい物語なのだけれど、第3段落があるために理解が迷走してしまった。
自分の手で自分を弔ったのに、「消えていった大勢の自分」だなんて無責任なこと言っちゃダメだよ。
消えたんじゃない。消したんだ。