巻頭言
短いからこそ、描けるなにかがあるだろう。
それは恐らく言語化できず、文と文。行と行。言葉と言葉。文字と文字。上の歯と下の歯。シナプスとシナプス。不確定的な素粒子の振動。ヒッグス粒子の干渉。
みたいなところに存在する、おそらくその「なにか」を超短編こそが描く。
超短編の理想型として、そのようなモノをアタシは想像します。
しかし、アタシが書くのは必ずしも理想型に漸近しないし、本音のところで理想型を読みたいともそんなには思っていません。
理想は必ず後ろに付随します。実作の後ろに存在します。
作者も読者も勘違いしてはならないと、アタシは信じて疑いません。
なので、作者たるアタシは、アタシたちは書かねばなりません。実作を続けねばなりません。思想や宣言は不要です。理論は実作によってしか説明されません。ただ、書いた物語にのみ信念は宿るのです。アジテーションは物語に託されるのです。
そして、読者たるアタシは、評価者たるアタシたちは、書かれた物語を歴史に置いていかねばなりません。置かれた場所によって、物語は価値を定められ、その行為は読者にのみ許されるのです。その行為こそが、物語を超短編たらしめるのです。
すくなくともアタシは実証主義者なので、このような立場を取ります。アタシはアタシのために書かれた物語を評価することで、新たな価値や意味を産み出し得ることを引き受けています。
参加者に対して読者数が多いことはログから報告を受けて、把握しています。
では、この参加者数を増やすべきか?
かねがね思案する重要項目ではありますが、もうしばらくは現状維持でも良いかと思っています。
理由は、次あたりの巻頭言で書こうかと思います。覚えていれば。
なお、掲載は受信順です。
最終日(自由部門) 作者:氷砂糖
作品
試合前のアップを終えた。ドーピングになることは知っているがドリンク剤を飲む。
数ヶ月前、陸上専門誌のコラムを読んで知った。チームメイトも親たちも知らないから差し入れられることもあるし、顧問だって知っているのかどうか怪しい。そもそもインターハイ本戦でも検査はないと聞く。だから知らなかったことにする。スポーツマンシップなんか知らない。正々堂々なんて言葉も知らない。
インターハイ予選、県大会。今日走ったら部を引退する。自己タイが出て決勝に残れるかどうかだし、上の大会なんて無理無理無理。スパイクを履くのはもう、これできっと最後。減量と練習のせいで生理は三ヶ月に一度しか来ない。この先の競技生活なんてないから、ただ今日だけを目指してきた。走り終えたら脚を壊しても構わない。疲労で寝込んでも構わない。自己ベストを出したい。決勝まで行きたい。ただそれだけ。
飲み終えた茶色の小瓶をバッグの底に隠して、スタート脇の召集地点に向かう。後輩が折ってくれたカラフルな鶴の束が揺れる。ミサンガは切れなかったから引き千切った。心臓が脈打つのを全身の隅々で感じ取る。明日が存在する余地はない。
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金800円
作者バレ云々はともかく、この物語を「風吹く競技場」の反対の物語として読むと面白い。
あるいは、自我と他我の物語と読んでも良いかもしれない。2つ並べれば。
では、あちらとこちらでどうして差がつくのか?
ひとえに、主人公の物語としてエゴが出ているから。
「風吹く競技場」がお行儀良く隠そうとしたエゴが前面に出てきている。スポーツの物語である以上、そこにエゴが無いのは嘘なのだ。自分のために走れないヤツがチームのために走れるはずがない。国家のために走れるはずがない。ファンのために走れるはずがない。
なぜなら、走るのは己の体だからだ。己の、足と腕が体を前方へ進ませる。慣性に逆らって。重力に逆らって。
あるいは、こんな観点でも評価できるだろう。
日本語は「なにか」を並べる時に発生期待の降順に並べるらしい。じゃあ、足が壊れることの方が、寝込むことより発生期待が高いわけだ。彼女にとって。
冷静に自分の能力を評価した上で、それを乗り越えようとする意志にこそ価値があり、この物語の価値だ。
でも、まだ書けるよね?
夏の日~another summer~(氷砂糖リミックス)
作品
ときどき、アイツのことを思い出す。アイツだけじゃなくてアイツやアイツやアイツやアイツのことも。思い出すときってのは、だいだいほわわんと幸せに浸ってるときで、そういえば元気かな、とかそういう感じで。もう逢うことはないからこそかもしれない。
余裕が出てきたんだと思う。思い返す余裕。
気が付いたら結婚していた。もちろん主人と好きあって抱きあって、ちゃんと未来の話をして、婚姻届を書いて提出して、そういうのはあったけれど、結婚してしまったなあ、と思う。悪く思うんじゃなくて、そういうことを考えるのもほわわんと幸せに浸ってるとき。
必死でがむしゃらに猛進し続けてきた二十代が終わったんだなあ。三十代最初の夏は、どうやら暑くなるらしい。だからアイスを安売りの日に買い込んで、冷凍庫に押し込む。主人と二人で食べるために。
お風呂上りに扇風機に向かって「あー」と声を出すと、ちゃんと「なにやってんだよ」って笑ってくれる。誰にもいう気はないけれど、アイツたちに磨かれたおかげの今だと思う。のんびりやってます。アイツたちもそれなりに元気だといい。もう逢わないけど。逢わないからこそ。
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金300円
初のサブタイトル付けてきた作品。元もと全角だったけど、半角に替えさせていただきました。
サンプルに対して素直に反対の物語。
でも、それ以上でもそれ以下でもないかなぁというのが素直な感想。
サンプルの物語が、キャッチィな見かけに対して中身が空っぽなので、どうしても単純な調理では空っぽなことしか伝わらない。
もちろん、空っぽだからこそ余韻が響くので、そこをどう味あわせるか? ってのがサンプルとあまり変わらないのであれば、リミックスする意味はないよねぇ。
作者が端々に混ぜ込んだリアリティを考慮しても。
夏の日(不狼児リミックス)
作品
7月2日に死んだ彼女は今を去ること60年前、同級生だった僕に向かって「一枚の死亡証明書があなたを火葬場送りにする前に、キスをして。私を抱いて」と言ったものだ。しわくちゃで白い彼女の死に顔は、歳をとったからって引け目を感じることもなく、今も熱烈にキスを求めている。
この暑さは死体にも難儀だろう。とっくの昔に彼女の肉体には触れられなくなっている僕だけど、そう思う。
季節は廻っても性格は変わらない。彼女の霊魂はあいかわらず活動的で、いつまでもじっとしてはいられない。
7月2日に死んだ彼女の霊魂を抱きしめて、僕ら二人は昇天する。一晩中ドライアイスに冷やされて、彼女の魂は10代の頃の掌のようにひんやりとしている。
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金300円
60年前が第二次世界大戦では無くなってしまったのだよなぁ。
というのが、第一印象。
それは自分の物語に仕掛けたトラップに、回り回って引っかかってしまった格好で、無様ではあるのだけれど、悪い気はしないかなぁと。
せっかく白い彼女が7/2に亡くなったのなら、半夏生なんて深読みされやすさが増していいんじゃないかと、これを読み解くついでに検索していて思いました。
ひんやりしているのは、彼女の魂より、唇であるべきかなぁ。
Adolescent giraffe(自由部門) 作者:不狼児
作品
弱肉強食が野生の掟のサバンナに脱衣所はない。キリンは被り物が脱げなくなったシマウマだ。四本の脚は竹馬で、頭部は作り物で空っぽ。薄茶の模様はお母さんが古い毛布を染めてくれた。その証拠にハイエナが笑うと、長い首の付け根でのどぼとけのような馬の鼻面が、不安そうに動いているのが見える。
キリンの中に閉じ込められたシマウマは、永久に子どものまま、不安のあまり増殖する。
母キリンも小キリンも、父キリンも、キリンの死体も、キリンの群れ全体、種属丸ごとが一頭のシマウマの分身なのだ。シマウマの子の妄想が消えればキリンは消える。種属としてのキリンの存続にはサバンナに跋扈するハイエナが不可欠だ。
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金1,000円
ハハハ。これはいいなぁ。さらにはきっと、超短編界隈のほとんどの人が喜びそうな物語だなぁ。
個人的にはこれを、漫画化、あるいはアニメ化して欲しいところ。絵本でも良いかもしれない。
子どもにも大人にも適度にいいトラウマを残すことができる気がする。
誰かしてくれないかなぁ? お金なら出すよ。ちゃんと原作料だって出すし。
きっと、ハイエナはいい顔で笑うことだろう。
夏の日(松浦上総リミックス)
作品
休日の朝だというのに、やけに早く目が覚めてしまった。カーテンを開くと、やさしい光が差し込んでくる。僕は、ラジオのスイッチを入れて、コーヒーメーカーをセットする。ラジオから流れてくる「アローン・アゲイン」を聴きながら、うっかり、二人分にセットしてしまっていたことに気がついて苦笑した。
おかしいよね。君とこの部屋で暮らしていたのは、もうずいぶんと前のことなのに、いまだにこんなヘマをしてしまう。でも、こんな朝は……、君が帰ってくるような気がするよ。
僕たちは、どうして、こうなってしまったのだろう? 朝、目が覚めると君の寝息が聞こえてくる。朝のやさしい光が君の長いまつげに影をつくって、君がまだ僕の隣に眠っている。それ以上の天国を僕は望んでいなかったのに。
ラジオは、いつのまにか天気予報に切り替わっている。夕方からは雨になるらしい。そういえば、今日は7月2日。遠い空の君、誕生日おめでとう。
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金100円
これもなんだかシンプルなリミックスになって、空っぽが空っぽのママにしか読めない。センチメンタルぶりたいだけで、彼女に対してちっともセンチメンタルな感情を抱いていない。ガジェットを持ち出せば持ち出すだけ、雰囲気に酔ってるようにしか読めない。
なんてことを書きすぎると余計にお金を出さなきゃならないので、余談的にラヂオから「アローン・アゲイン」が流れてくるってことは、FMかなぁ。なんて、どうでもいい妄想。
なんかググったら有頂天の「アローン・アゲイン」もあるようで。
ん? よもや、ビズ・マーキーではあるまい・・・
夏の日(杉浦梓リミックス)
作品
もっしー! めっちゃ、ひさしぶりやん。どないしたん? えっ? うちの誕生日おぼえてくれてたん。ありがとう。そうや、七月二日。7と2でカブやって、うちが生まれたとき、死んだお父ちゃん、よろこんどったって、お母ちゃんいうてたわ。ああ、いうてなかったなぁ。お父ちゃん、去年、肝臓わるぅして死んでもた。あんなに、あんたとの結婚反対してたのに、死ぬ間際になったら、ひと目孫の顔が見たかったなんていうんやで。あんたの誕生日が九月二日やから、あんなインケツのとこには嫁にやらん。九月一日やったらクッピンやったのに。なんて、文句ばっかりいうてたのに、わろてまうやろ。……。あかん、なんか、わろたら、涙出てきたみたい。ごめん、もう切るわ。えっ? 心配やから、今から行くって。ちょっと、あんた、どさくさにまぎれて、ヘンなことせんといてや。うん、モロゾフのプリンは今も好き。ほな、紅茶入れて待ってるから。
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金1,100円。
今回唯一、空っぽに対して、意識的にアプローチを変えてきている物語。
前に小山田圭吾の言葉を引用したように、自分の取りつく島を口調、言い回しに見出したわけで、どんなに小手先にしか見えなかったとしても、リミックスの方法論としてアタシは推します。
ハウスDJがリミックスすれば4つ打ちになるだろうし、レゲエDJがリミックスすればレゲエやらダブやら裏打ちしまくるでしょう。それと同じことです。すくなくとも、消化されたモノが出てきているように読める。
7と2でカブに気づいた時点で勝ちですね。間違いなく。
ちなみに、アタシ自身は坊主めくりってやったこと無いんですよ。百人一首が木札な国で生まれ育ちましたから。
モロゾフのプリン4個入りが買えるだけのお金を。
とうめいにんげんになりたかった(自由部門) 作者:はやみかつとし
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ミースといえば、Googleのトップになってたなぁぐらいの認識しかないところが申し訳ない。
理解の程度がそれぐらいだからかもしれないけれど、このお話から先を見出すことができなかった。
ジャンプされたからそこに崖があると知ったけど、されなかったらなにも気づかずに過ぎてしまうような。
アタシ自身が、人間自身についてはちっとも興味無いから、余計に読み取れないんだろうな。
夏の日(はやみかつとしリミックス)
作品
ぼくの大好きな暴走自転車娘は、もちろんヘルメットも膝当てもつけやしない。そんなんで幹線道路の車道を走るなよ、って言ってもふふふんと鼻で笑って、ぼくの意気地のなさを空き缶のように蹴飛ばしてまたお気に入りのママチャリを駆って行く。
また夏が来て、彼女のいない幹線の傍に立っている。強い熱風に吹きさらされて、意気地がなかったのは認めざるを得ないな、と改めて思う。
ぼくの大好きな暴走自転車娘は、ほんとうは震える心を持った女の子。颯爽と駆けていく自分自身を信じてるくせに、自分以外はそうは見てないと思って、はじける笑顔のあとには必ず目を伏せてた。
また夏が来て、彼女の去って行った方角の空を眺める。彼女が選んだのだから間違いないとは知りつつも、いつかまた彼女が気弱になったときにはここに戻って来ればいい、と無責任に僕は思う。
コメント
金900円
今回出てきた他の作品とは異なり、物語の構成・構造を主たる要素としてリミックスしてるのは、こうやって並べて見た時にはやはり長所。
さっきのDJリミックスの喩えでいけば、どうジャンルのDJによるリミックスに近いかな? 恥ずかしげもなく引き合いに出すなら、小山田圭吾による「今夜はブギーバック」のリミックス!
AメロBメロ的作り方は、スウィングバイをどれだけできたかに寄って読後感が変わってくるので、普通に組み立てると単調だったり、物足りなさだったりが残るのだけれど、この話は「なにか」を読んだ手触りをきちんと残しているので、好感です。
確認にサンプル作品を読み返したけど、「無責任に僕は思う」がサンプリングされてるのを、読み返すまで気づきませんでした。ダメじゃん。自分。