この一月ほど映画館に行ってなかったのだけど、糞忙しい8月冒頭から「
KNEECAP/ニーキャップ」見ました。
途中から思い出したのは去年のベスト展覧会であり、生涯ベスト級展覧会である「
翻訳できない わたしの言葉」
そう。
言葉は弾丸だ。存在を明らかにするのは言葉だ。
だから、排外主義は台頭する。言葉が違うから。
本質的には排外主義を肯定する映画である。
侵略された側だから、そのように見えないけれど。
パンフで森直人が書いている「西部劇は先住民の立場になって観ろ」の件は、膝を打つ。攻略戦なのか防衛戦なのかは、立場の違いに過ぎない。
アイルランドは征服されたから言葉で抵抗する。
さんざっぱら血を流したから、言葉で抵抗する。
そんな時に
ラップは最高の武器だ。なにせパーティと抵抗の音楽だから。
だけど、言葉を認めさせたい人にとって、抵抗は邪魔だ。
嗚呼。切ないね。
あやうく泣きそうになったよ。
どちらにせよ、そこには揺るぎない愛があって、もちろんテロリストの父親がいた(演じるのはマイケル・ファスベンダー!)とか、妻(パンフだと彼女)が文化を守ろうとしてるとか、彼女がプロテスタント(叔母はジョシー・ウォーカーなの最高)だとか、その組み合わせも素晴らしい。なにせ実話。狡い。なにそれ?
しかも、本人出演。
えっ?馬鹿なの???
他の出演者もアイルランド関係でしっかり埋め尽くしていて、しかし、
監督はバリバリのイギリス人だ!そう。ここにあるのは自由だ。
絶対的に21世紀の映画だな。と思う。
町山さんの話だと「テロリストの父親」は大嘘で、本人が危険を背負って対立関係乗り越え、衝突する両者でドキュメントを撮ったら「
ノー・アザー・ランド 故郷は他にない」になるのだけれど、イスラエルがアカデミー賞出演者だとわかって殺す20世紀感に対して、自分たちが殺されるリスクは充分あるけど、
自分たちが出ることで物語を大きくすることに意味があると、たぶん、フロントの2人は馬鹿だから先生が唆している。
いや、違うな。きっと、血が彼らを前へ押し出す。
アイルランドの血だ。
なんなんだろう?あの島は、絶大なるイギリスの影響下にあるからこそ、その影響を拒絶する。アイデンティティみたいなモノだ。
この感覚は北海道よりも沖縄に近しい気がする。
あの島は、絶対的に琉球で日本でも中国でもない。台湾も同様だ。
本来的に北海道も同じハズなのに、琉球と異なってしまうのは、倭人に侵略されたからだ。
だから、名著「
なくなりそうな世界のことば」にアイヌ語話者が5人と書かれる。
日本人ファースト?巫山戯るな!侵略者め!!!(含む自分)
マユンキキは、いいから映画を撮るべきなんだよな。
もちろん、OKIさんでも良いけど。
貧困と被差別当事者のための音楽がヒップホップ/ラップなのだから、KNEECAPがラップをするのは当然の帰結で、なんだ、アメリカもアイルランドも変わらない。
インドだって変わらなかったし。
さえぼー先生がパンフで書いている「エメラルドの島」というノスタルジィは、必然的に緑を旗印に入れ込むパレスチナの国家を連想するし、イングランドが着るオレンジは、どこぞのカルト結社をも連想させる。
そういえば、アイリッシュウィスキーはモルトを焚かないのだ。3回蒸留だし。
アイラとは異なる。
もちろん、普通の人が有名になる話だから、
どーしようもないネタが多い。
それがリアリティなのだ。
白い粉吸いまくるし、ラリって互いの顔がアニメ化するし、「Brits Out」書いた尻の写真が新聞に載って、奥さん(パンフでは彼女)に身バレするとか最高じゃないか(しかも泣ける)
終盤、ずっと楽顔したエリザベス女王の顔にダーツ刺すのもなかなかシュール。
「選択的に英語を話さないと決めた人」であることは、
受動的に国際化されることを良しとしないことではあるけど、国際化を拒絶することではない。
ちゃんと、自分であることをもって世界に出ることを良しとする志なのだ。
なお、サントラは買いました。
んでさ、1回ベルファスト行きたいなぁ・・・計画を立てねば。