雑感・レヴュ集
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どうせ見るならこの一本

タイトル作品名記述者記述日
今夜はブギーバック/あの大きな心Eclectic(小沢健二)空虹桜2002/03/12

今夜はブギーバック/あの大きな心 Words and music by Kenji Ozawa(Eclectic,2002 Track08)
originally written by K.Ozawa,M.Koshima,Y.mMatsumoto and S.Matumoto in 1994.

「今夜はブギー・バック」については「今夜はブギーバック談義」「今夜はブギーバック談義2」と
別ページで特集していますので、そちらもご覧ください。

できうる限りアルバム全体への言及を避け、さらには本人も続き物だと発言(東芝EMIのオフィシャルサイト参照)した前トラック「欲望」への言及も避け(とは言っても、本レヴュを書くためにこれでもかとセットで聴いている)、できうる限り「今夜はブギーバック/あの大きな心」ついてのみ記したい。これは作者への冒涜かもしれないが「Rockin' on JAPAN」誌のライタ各氏ですら各曲レヴュのはずが、アルバム全体のレヴュをせざるを得なくなるほどの広さと深さを感じさせるアルバムに対する挑戦だと思っていただきたい。
なお、アルバム内における当曲の位置づけは前述のレヴュが現時点でもっとも優れていると思うのでそちらを参照されたい。
ならば、なぜ、このレヴュが当コンテンツに収められるのかと言えば、ご存じのように筆者は「今夜はブギーバック」からスチャダラパー(以下SDP)に流れた者であり、「smooth rap」を浴びるほど聴いてきた人間である。本来なら「今夜はブギーバック」の中におけるこの1曲とすべきなのだが、この曲の性質上将来があるため、それはできない。
そのため、今回セルフカバーの形で収められた当アルバムからセレクトした形となった。なお、本来このアルバムから1曲セレクトするなら「麝香(Track03)」だと筆者も思う。

話を進めよう。筆者が本レヴュで主張したいのはこの曲が「『今夜はブギーバック』の正常進化」だと言うことである。
前述したように、「今夜はブギーバック」にはSDPがメインとなる「smooth rap」と小沢がメインとなる「nice vocal」がある。もちろん、今回のセルフカバーは後者の進化ヴァージョン(「ラップ」の定義を拡大解釈するならすべての歌は「ラップ」になるのだろうが、一般的な定義に従う)である。
その理由の最たるところはそのタイトルである。
「今夜はブギーバック/あの大きな心」
小沢本人の意思を鑑みれば「欲望〜今夜はブギーバック/あの大きな心」とでもすれば良いのだろうか。
20代の頃騒いだブギーな夜に、今彼らが求めるのはあの大きな心なのだ。

80年代の最末期から90年代の前半にかけて、「渋谷系」と騒がれ時代のムーブメントとなった小沢やコーネリアス、SDPを筆頭とするLBの面々などがそれぞれ90年代中盤から後半にかけて続々と30代へシフトしていき、ほぼ全員が30代となった21世紀。
以前クロスフェーダで語ったように、メンバが30代にシフトしつつあるときに発表されたSDPの「fun-keyLP」と、完全にシフトした「ドコンパクトディスク」とでは、どんなに世間の評価が前者に与えられていても、完成度の点で圧倒的に後者が上である。前者が背伸びをしていたのに対し、後者は年相応、身の丈にあった仕上がりだからだ。
ならば小沢は?と期待して聴いてみた今回。この曲においてそれは象徴的だった。
まず第一に―これは全体的に言えることだが―そのである。
誰もが過去の小沢と聴き比べたときファーストインプレッションをそう感じるに違いないが、本アルバムを初めて聴いた際、筆者が感じたのは「このアルバムを唄うためにこの声にしたのか?それとも、この声になったからこのアルバムができたのか?」であった。
その問の答えがこの曲で、結論から先に述べれば「このアルバムを唄うためにこの声にした」のである。小沢は。
第二に「あの大きな心」パートである。
20代の「今夜はブギーバック」は前述したように勢いのまま、体力の続く限り踊り続けることができた。しかし、30代となった今、彼らにその体力は無い。その代わり身につけたのはテクニックであり、ダンディズムであり、圧倒的なエロティシズム。
本曲のみ「魔法使い」が「魔法」をかけるのではなく、最初のブギーバック同様「神様」が「くれた」のだ。なんだかんだ言って、それまで客観的に感じていたエクスタシィはここで主観となり、他者から与えられることで達する。このアルバムに収められたどの曲よりこの曲が、肉感的で心地良い絶頂と気怠さを聴き手に与えるのはそのためだ。
「魔法」が「欲望」なのだとすれば、唯一「神様」が持ち、人間に与えることができる「その大きな心」

その名のごとくSDPがその苦悩と成長をきちんとアルバムという形で発表し続けた(この行為こそがSDPのアイデンティティである)のに対し、小沢はその天才性のために苦悩を庶民には見せなかった。
しかし、だからこその結論がこの「今夜はブギーバック/あの大きな心」なのである。
8年前のブギーバックは1歩どころか2歩も3歩も先ゆく見事なフュージョンと時代性において主にヒップホップカルチャに絶大なる影響を与え、メインカルチャに小沢の存在を押し上げることに成功した。
今回のブギーバックは自分を押し上げたブギーバックに対する小沢のリスペクトであり、柱の傷なのだ。
それを「ブギーバックの進化」と呼ばずなんと呼ぶ?

もちろんSDPに流れた者として、今後の楽しみは小沢が進化させたブギーバックに庶民であるSDPがどんな返歌を返すのか―今回のブギーバックがSDPの成長と進化に対する返歌だとみなすことも可能ではあるが―である。
それを楽しみに、今はもうしばらくあの大きな心に包まれていたいと思う。

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