言うても、実は大好きレディ・ガガ!なので「
ハウス・オブ・グッチ」見ました。
ホントもう、ガガ様の濃い顔大好き(馬鹿)
あのちょいと太めな二の腕とか、想像以上に柔らかそうな胸やらは「エロクドい」なる語を思いつくほどに、ガガ様映画なわけですが、じゃあ、それだけかというと、それだけではない。
いや、それだけでも良いけど。
リドリー・スコットなのである。エンドロールを見ながら、去年見た「
ドーナツキング」のことも考える。
いや、「
最後の決闘裁判」見てないですから。ええ。
この映画とあの映画の間にある因果を思う。
アメリカのことを描きたいリドリー・スコットが、グッチのイタリア話を描いたことを。
でも、途中で面倒くさくなったので辞めました(笑)
パンフ見たら、やっぱりアメリカ人がイタリアの映画どうなの?って話はあるみたいで。
ただ、その辺ところは「
パーフェクト・ノーマル・ファミリー」で、監督マルー・ライマンの「
誰もが誰かを表現できるべきである 」に同意する身としては、アル・パチーノがいれば無条件にイタリア感は充足するのでは?という偏見。
もちろん、違う人が演じることによる違和感は否定しないのだけど・・・難しい。
いずれにせよ、そゆのは真面目な人が考えれば良いのです。
それよりも、もうちょっと俗っぽいとこを見ましょう。
たとえば、オープニングの自転車シーン(もちろん、最後との対象構造だけど)から、しばらくは超童貞臭かったアダム・ドライバーが最後にはたっぷりの貫禄と駄目人間っぷりを見せつけていて、メイクと、なによりも
これが演技力か!っていう。
同じように、ガガ様のメイクは、戦闘態勢の時とプライベートモードの時で濃さを変えていて、
そりゃそうだよね!って話ではあるのだけど、感情と年齢の変遷がメイクに出てるのは、見てて楽しいところでもある。
後はなんと言っても、アル・パチーノと馬鹿息子ジャレッド・レト!
上述の通り、イタリアが舞台だからこそアル・パチーノの存在が説得力を与えているし、馬鹿息子ジャレッド・レトが、
ホントに馬鹿息子にしか見えないの最高。
どんなにお洒落をしていたとしても、
<font size=“5”>アレは駄目なヤツや!</font>ってオーラが出ていて素晴らしい。
ジャレッド・レト最高。助演賞持ってけ泥棒。アカデミー賞、ノミネートすらされてないけど。
アメリカではストーリィが凡庸と言った評価のようだけど、実話ベースなのだからある程度致し方ない気が。
結構編集で時間を飛ばしてるし、つなぎ方も面白くはあったのだけど。しかしてしかして、やはりラストのラスト。
「
グッチ夫人と呼びなさい 」
のワンフレーズは抜群に破壊力があるのだけど、いや、待て。と、考える。
さっき棚に上げた、リドリー・スコットの意図みたいなモノをつい考えてしまう。
もちろん、パンチラインとしての強さが大きいのだけど、単純に嫉妬深い女の話と解しては、パンチラインの強さしか生きない。
むしろこれは、プライドの話だと考える。
ここで張られたプライドは、後から付与されたプライドだ。
あるいは、醸成されたプライドだ。
立場と愛と自信によって。
つまり、
生まれたプライドを貫く話なのだ。この映画は。人間らしいプライド。
尊厳とは斯様にして守り、貫かなければならないのか?
凡人としては、なかなか難しいなぁ。
にしても、あのSEXシーンは「激しい」というより、単純に痛そうでガガ様、気持ち良くないでしょ。
そして、あの日本人描写はなんとも悶える。
良くも悪くも、これがバブルか!