空虹桜の妄現 ストロマトライト
バックナンバ Vol.10

[738] アンソロジィにおける文脈と視点——「超短編の世界」を事例に 2

前回のは「序」とかにしといた方が良かったなぁとか、いつの間にか「500文字」のアンテナから「妄現」の2文字が消えてるなぁとか、そこらを枕に置いといて、以下本題。
なお、この一連の論はたいていの人にとって「当たり前」のことを確認していく作業になるかと思います。
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 先回確認し忘れたが、本稿では社会を一人以上の他者と相互作用(コミュニケーション)を及ぼすことができる関係・状態とする、社会学でもっとも小さな部類の社会の定義を用いる。
 さて、アンソロジィには大きく分けて3つの文脈が存在している。
 1つ目は「作品内で完結する文脈」である。言い換えるなら「ストーリィ」である。本稿で事例として取り扱う「超短編」という文芸ジャンルは「500文字」という物理的な定義でジャンルを規定しているため、「作品内で完結する文脈」が見えにくい作品が多々存在しており、「わかりにくい」という感想に直結している。が、文法によって高度に社会化された言葉が社会化された人間が読み取れるように並べられ、エンドマークを打たれているのだから、なんらかの文脈が作品内で完結していること自体は間違いない。
 2つ目は「作者名によって構築される文脈」である。言い換えるなら「作者らしさ」や「文体」となるだろう。アンソロジィに収録された作品が作者にとって唯一の作品でないのならば、前後に生み出された作品との間に相互作用が生じる。したがって、アンソロジィに収録された作品は作者名によって構築される文脈に取り込まれることになる。
 3つ目は「アンソロジィとして並べられることによって生じる文脈」である。言い換えるならアンソロジィのテーマである。本項で事例として取り扱う「超短編の世界」というアンソロジィでは「恐怖」のことだ。テーマによってアンソロジィは個々の物語を構造化する。
 この3つの文脈はそれぞれ担い手が異なっている。1つ目の文脈は「作者」が、2つ目の文脈は「時間」が、3つ目の文脈はアンソロジストが、それぞれ担い手となる。3つの文脈はそれぞれに相互作用を及ぼしあって、ひとつのアンソロジィとして成立しているのである。
 ここで本稿で用いる社会の定義を思い出してみよう。それぞれの担い手に対してそれぞれが相互作用を及ぼしあっているのだから、アンソロジィはアンソロジィというだけで十分「社会」として成立していると言えるだろう。
 しかし、この3つの文脈——「社会」には決定的に忘れ去られた存在がある。「読者」だ。
 では、既に「社会」として成立しているアンソロジィに対して、「読者」はどのように影響しているのだろうか?
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続きます。これぐらいのペースならなんとか毎日書けない気もしないではない。っていうか、事例はいつになったら取り扱うんだ?<自分

[739] アンソロジィにおける文脈と視点——「超短編の世界」を事例に 3

既読感の招待がずっと思い出せなかったんだけど、そうか、ひまわりさんか!
ってのを、ずっと書き漏らしていたんで枕に。
なお、奥田民生ばりに一連の枕は本文と関係ありません。
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 先回取り上げた3つの文脈は、アンソロジィの中だけで閉じた系を成している。しかし、アンソロジィがアンソロジィとして編まれるのは「読者」という完全なる第三者のためである。3つの文脈だけを見ていては、本来アンソロジィという「社会」と対になる「読者」を見落としてしまう。
 したがって、本節ではアンソロジィを構成する3つの文脈に対して、外系である読者がどのように作用しているかを見ていきたい。
 まず1つ目の「作品内で完結する文脈」、「ストーリィ」に対して読者はどのように作用しているのだろうか? 「作品内で完結する」と書いていることからわかるように、完全に閉じた系である「ストーリィ」に読者が作用する術はないように見える。一見。
 しかし、「ストーリィ」はただ存在しているわけではない。誰に認識される必要が読み取られる必要がある。もちろん、作者が作者を満足させるための「ストーリィ」や、ただ吐き出すために紡がれた「ストーリィ」は存在するだろう。筆者はそれを否定しない。ただ、事例として持ち出している(持ち出そうとしている)「超短編の世界」でいえば、1. 商業誌である。 2. Webで発表された作品のアンソロジィである。 という、大きく2点からすべてではなくとも、「ストーリィ」のいくらかは他者のために作られたと考えられる。
 社会学において、作用(相互作用)は同一の時空間を必須条件としない。誰かに伝えようとして、残そうとして描かれた(と思われる)「ラスコーの壁画」は<わたし>に対して十分作用する。
 まとめよう。アンソロジィの大半が商業的かエンタテイメント的(たとえばDJのプレイリスト)なものであるならば、1つ目の「作品内で完結する文脈」は他者に認識される(読まれる)ことで完結する。ただ吐き出すための「ストーリィ」であっても、吐き出された時点で吐き出した元は他者だ。
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アレ?なんか話が認識論にそれつつあるよな・・・理論的なところはリアルではあるけれどリアリティはない((C)ザ・ハイロウズ)からなぁ・・・

[742] アンソロジィにおける文脈と視点——「超短編の世界」を事例に 4

書けば書くほど終わる気がしないのですが、さぁてどうしましょ。
ああ、スイカ食べたい。
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 2つ目の「作者名によって構築される文脈」、「作者らしさ」や「文体」に読者はどのように作用しているだろうか? これこそまさしく作者の中だけで完結しているように見えるのにだ。
 もちろん、読者は「作者らしさ」や「文体」に作用している。すくなくとも1つ目の「作品内で完結する文脈」に対してよりは作用が大きいだろう。
 そもそも「作者らしさ」や「文体」を規定するのは誰か? 作者だろうか? 作者を作者たらしめている要素はなにか?
 哲学的な議論を展開する気はないので、ここでは単純に事実関係に見られる構造だけを提示したい。
 先に述べたように、2つ目の文脈の担い手は「作者」ではなく「時間」である。コンマ何秒の世界で同時にエンドマークを打てない以上、一人の作者の作品を順序立てることができるのは、時間だけなのがその理由だ。作者はエンドマークを打つ順番を「相対的」に決めているにすぎない。
 「時間」が定めた「絶対」的な順番(未来の作品は絶対に読むことが出来ない!)に対して、読む順番を決めているのは「読者」である。もちろん、ここでの読む順番もその「相対的」なものにすぎない。つまり、2つ目の「作者名によって構築される文脈」の範囲内で、読者は自由に「作者名によって構築される文脈」を並び替える(再構築する)ことが出来るのだ。
 一般的な文芸論で語られる「作者らしさ」や「文体」はこの読者によって再構築された「作者名によって構築される文脈」である。
 したがって、同じレイベリング、「作者らしさ」や「文体」で語られるため、とくに文芸論では混同されているが、作者の言う「作者名によって構築される文脈」と読者の言う「作者名によって構築される文脈」は決定的に別のモノだ。異なる要素たらしめているのは担い手として中間に入り込んでいる「時間」である。「作者名によって構築される文脈」同士に差異があるのならば、必然的になんらかの作用が生じる。
 異なる「作者名によって構築される文脈」間で生じる作用は「自我」と「社会的自我(他我)」の関係に似ている。つまり、作者が「このようにありたい」と思い「構築される文脈(≒自我)」は、読者の「このようなものだ」という理解によって「(再)構築される文脈(≒社会的自我)」となり作者へ帰る。このキャッチボールの繰り返し(相互作用)によって、一般化された「作者名によって構築される文脈」へ漸近していく(しかし、絶対に統一はされない)
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さすがにこの節は理論系の弱さがただ漏れで、自分でも痛々しい・・・

[743] 野獣

U・Bさんから教えてもらって、宇多丸師匠のタマフルポッドキャストを聴いてみる。平山夢明が出てるってんで。他に町山智浩と高橋ヨシキも。

で、恐ろしい。本当に恐ろしい。ああ恐ろしい。
初対面の人のラヂオ(ポッドキャストだけど)をここまで荒らすか!
日本って奥が深いなぁ。

えーと、一連のシリーズは週末休みました。選評書いたり、原稿書いたりさ。

[744] 「第4回 てんとう虫の呪文」の朗読参加受付は8/2

「やわらかい鉄格子」の語感だけでむりくしゃり書き上げたのが「カトル・カール」
「パウンドケーキ」のことだけど、「カトル・カール」のがタイトルの語感にはいいよねと。
ようやく「コトリの宮殿 in 超短編マッチ箱」の-2回が全部出せた。
かきわり超短編は出したよ。

[747] アンソロジィにおける文脈と視点——「超短編の世界」を事例に 5

すっかりどこまで書いたか忘れてるという節もあるんですが、久々に。
忘れてたり考えてたりしたのではなく、単に時間が無かったり忙しかったり他に書くことがあったりしたからです。
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 3つ目の「アンソロジィとして並べられることによって生じる文脈」、「アンソロジィのテーマ」に読者はどのように作用しているだろうか? 考えてみるまでもなく、「テーマ」は常に読者に作用している。もちろん、「テーマ」を知らずに「アンソロジィ」を読むことは不可能ではないが、殊、本で読む場合物理的に難しいことが多い。そこかしこに書名や章立てが記載されているからだ。したがって、読者は「テーマ」を意識してアンソロジィを読むことになる。並べられた作品の順番からアンソロジストの「意図」を読み取り、作品を「テーマ」によって読み解き、作品と順番と「テーマ」との整合性や距離を見出す。
 しかし、この読解は本来自由であった「読書経験」を束縛している。つまり、視点を一つに固定しているのだ。「テーマ」を用いることによって。たとえば、カメラのズームのように、本来見えたハズのモノが見えなくなり、本来ボンヤリとしか見えていなかったモノがハッキリと輪郭を持つようになる。
 また、「テーマ」によってハッキリとした輪郭は、補正されている、つまり、正確ではない可能性がある。描いていない三角形が浮かび上がって見えたり、存在しないアルファベットを見出すようなものである。そもそもが、文脈という概念自体が錯視同様に錯覚に過ぎないと、個人的には考えるのだが本議論の範囲を逸脱するので自制する。
 このように、読者に作用する「テーマ」だが、この「テーマ」はアンソロジストが規定したものである。並べた作品、物語を「このようにして読んでもらいたい」という希望・願望が「テーマ」なのである。言い方を変えるなら、読者をアンソロジィの世界へ「社会化」するルールなのだ。
 デュルケームは「社会化」を「社会的拘束理論」として社会化する者からされる者への一方的な拘束と考えたが、ピアジェは「社会化」を相互的なものと考えた。
 現実的にはアンソロジィをテーマに即して読むか否かは読者の自由である。その上で、アンソロジストは「テーマ」に説得力を持たせ、読者を「社会化」するためには、「テーマ」に即して読むことが、ピアジェ言うところの「善」であると感じさせる必要がある。そのためには「相互的」でなくてはならない。誰が? ここではアンソロジストと読者がだ。
 具体的にはアンソロジストが「テーマ」を設定する際、「読者」が「どのように読むか」を想定する点が「相互的」と言えるだろう。1つ目の文脈でも持ち出した「ラスコーの壁画」的な相互作用の関係が、より短期的な形でここに具現化している。
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で、理論的な話は終わったんだよね。きっと・・・

[748] 脳内百景(24)

「今死んだら、誰か悲しんでくれるかな?」
「わざわざ悲しまれてやるの、メンドいよ」

[749] アンソロジィにおける文脈と視点——「超短編の世界」を事例に 6

8月にてのひらー方面でオフ会があって、9月に心臓オフ?んで、10月にまめまつりがあって、なんか毎月イヴェントだ。
大変だなぁ(他人事口調)
さしあたって問題なのは、心臓オフの日程と朗読会の日程か・・・
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 ここまでの議論を簡単にまとめよう。
 アンソロジィには3つの文脈、「作品内で完結する文脈」「作者名によって構築される文脈」「アンソロジィとして並べられることによって生じる文脈」が存在していて、相互に作用しあっている。モデル化するなら、三角形のそれぞれの頂点を成していると考えればよいだろう。この「アンソロジィの三角形」を底面に、三角錐を描くような座標には読者が存在している。三角錐の所持する辺はそれぞれの相互作用を表しているし、相互作用によって描かれる三角錐は「アンソロジィ」という社会の「構造」を示していると言えるだろう。
 冒頭で提示した3つの疑問。文脈はどのように構築されるのか? 社会化されることによって、文脈はどのように変化するのか? 構築されることによって、社会にどのような影響を与えるのか? の内、はじめの2つはこれまでの議論である程度の説明が出来たと考える。たとえば、3つの文脈のそれぞれがどのように構築されるのかについての説明を、厳密には本項で行っていないことや、社会化による文脈の変化の説明に際して「読者」という変数を用いていることに異論はあるだろうが、今回用いた構築主義よりな構造論は、そもそもそれらの異論に応えるためのモノではないことを留意願いたい。その上で、筆者の文責の甘さによる不手際について指摘していただければ幸いだ。
 さて、構築されることによって、社会にどのような影響を与えるのか? という疑問についてはどう考えるのか? 既に述べたように、ここまでに用いたロジックでは説明できない。
 したがって、筆者が参与観察的に見たり読んだり聴いたりした物事を「アンソロジィの三角錐」に肉付けすることで説明しようとするのが、本項の主題となる。
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って、最後のところは説明不足なんじゃないだろうか?というか、一体誰がついてきてるんだ?あるいはどこまで一人で勝手に突っ走ってるんだ?(自滅)

[751] Sure Shot

・第4回の朗読希望受付は昨日で終了しました。
・が、諸々更新されるのが今夜なので、まだ間に合います(笑)
・今のところ参加希望者は6人です。最低まだ4人は大丈夫。
・日程はこれから詰めるわけですが、9月の3連休ではやりません。
・ギャラリーの方はギリギリまで大丈夫ですので、予約だけでもどうぞ。
・原油価格高騰のご時世に、もっとも飛行機代の高い8月に京都までなんて行けません。溶けちゃいます。
・もちろん、東京にも。
・それにしても、みんなよく動くよね。置いてかれない程度についてきます。
・まだ、声かけてもらえるウチが花だよね。
・「伸縮怪談」はおもしろみが感じられないので、「回廊」の「雲上の庭園」の方を考えてるんですが、間に合うかなぁ。
・gennari.netのトップページ見たら真っ黒でビックリした。

[753] ハンガロリンクの魔物

F1ってホント恐ろしい。
森脇さんが「これがモータスポーツなんですよね」いってたけど、やっぱりF1って、とんでもないスポーツだなぁ。

[754] For はやかつさん

ページが変わってしまったんで、新しく記事を起こしてみる。
たぶん誰も薦めないだろう、大通公園のビアガーデンを薦めます。
週末は混んでるだろうから、出来れば平日がいいけど、今時期は北海道の酸いも甘いも全部詰まってるのが、あそこじゃないかなぁと。もちろん、この時期は外でビール呑むのが一番美味しいってのも込みで(笑)普通に出店も気合い入ってるんで、呑めない人でもわりと楽しめるかと。
「クラシック」ってサッポロビールが道内限定のビールを出してたりもしますし。
ちょっぴり脚を伸ばして小樽の「海商」あたりまで行くと、北海道で安くて美味しいもの食べた実感はあるハズ。ススキノにも「海商」は出店してるけど、そっちは高め。
札幌市内は、思いのほか観光客向け(≒一見さん向け)のスポットは無いのだけれど、久々の札幌ならわりとすぐなところで、JRタワーの展望台から札幌一円眺めるのはイイかも。藻岩山から眺めたり、テレビ塔から眺めたり、ノルベサから眺めたりするよりは、偏りが少ない感じ。

[756] アンソロジィにおける文脈と視点——「超短編の世界」を事例に 7

朗読会参加予定の皆様には確認のメールを出しましたので、お返事くださいね。
朗読参加予定者一覧もちょっとだけ公開してます。いろいろそうかと驚いたり納得していただければ。実際開催まで時間があるし、更新頻度も下がる(苦笑)ので、2人ずつ公開していこうかと思ってます。というか、マンジュさんが決まらないことにはむにゃむにゃむにゃ。
あと、sleepdogさんにコメントフォームだったか、Yahooのアドレスへ直だったか忘れたけど、メールしたんだよなぁとか書くだけ書いておく。
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 筆者は「超短編の世界」に超短編作家として一本の超短編を寄稿している。以下では「筆者」と「作家」がしばしば同一人物を指し示すが、同一人物の中で十分に切り分けられていることを忘れないで欲しい。
 さて、自作に対し作家はどのように「作品内で完結する文脈」を設定したかを十分に知っている。「超短編の世界」に掲載された「美術室にて」という掲載全作品中3番目に短い、100字にすら満たない超短編で、作家の意図した「文脈」が十分に「完結」していることを作家は知っているのだ。
 同時に作家は、読者が知らないことを知っている。たとえば、
>  モデルにした友人の肉の内側にあるはずの大腿骨を
> 描くという奇想から、出来上がるのは骨格系ではなく、
> 神経系、それもその標本という、収まりの悪さ。
>  また、三ヶ月? という謎の問い。
(ハカウチマリ 2008.7.11 ttp://d.hatena.ne.jp/hakauchimari/20080701)
 といった反応は作者が読者に期待した反応の一つである。この程度に書けばこの程度に読まれるという因果関係は、作家が「作品内で完結する文脈」をコントロール下に置いていることの証明である。
 しかし、あるいはもちろん、この証明は後出しじゃんけんのようなもので厳格な証明ではない。
 超短編が物理的制限を持つ文芸表現のジャンルであるため、どのように読まれるかに対して自覚的に鳴りやすい性質を孕んでいることは、文学論的には面白いのかも知れないが、本稿では厳格な証明ともども必要としていないので話を進める。
 ここで重要なのは、先ほどの議論で指摘したように、作家個人の中で完結しているかに見えた「作品内で完結する文脈」が、実際には読者を想定した上で「作品内で完結する文脈」であることだ。想定には当然、「理解できない」「自己満足だ」といった類の批判的な反応も含まれているし、「もっとサイケにして欲しかった」や「もうちょっと余韻があってもいい」といった肯定的提案も含まれている。また、もともとが作家が想定していない反応も含まれている。
 つまり、作者は「作品内で文脈」を完結させるために仮想読者すら相手に相互作用を繰り返しているのである。
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準備運動無しに書き始めると、やっぱり切れ味が鈍い。調べながらだしなぁ(じゃあ、準備運動してください)

[758] アンソロジィにおける文脈と視点——「超短編の世界」を事例に 8

いい加減にこの枕も尽きてくるわけですが、そもそもこのシリーズは半分ぐらいの長さで終わるつもりだったのに・・・
小説は書いたなぁと思っても600文字行ってなくてガックリ来るのに、この差はなに?
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 いわゆる「ビッグネーム」を招くことで、アンソロジィの価値を高める手がある。「作者名によって構築される文脈」をアンソロジィ的に有効利用する方法の一つだ。「超短編の世界」で言えば森山東がこれにあたるだろう。
 「ビッグネーム」を招く最大のメリットは広告宣伝効果だ。同人誌レヴェルであっても、それが商業的な側面を持つならば、潜在的に求める人へ売ることが求められるからだ。したがって、費用対効果以上の広告宣伝効果を得られる「ビッグネーム」が必要となる。
 読者側としてみれば「ビッグネーム」の存在を指標にアンソロジィの品定めをすることができる。「日本ホラー大賞作家がいるのだからホラーであろう」といった具合にだ(品定めの正確さをここでは問わない)
 当然、「ビッグネーム」によっては費用対効果以下の広告宣伝効果しか得られないことも間々あるし、ひねくれた「ビッグネーム」が意図して期待を裏切る可能性もある。だが、どちらにせよアンソロジィは、読者を意識するからこそ「作者名によって構築される文脈」を読者に対して有効に利用しようとする。
 同様のことは、立場を逆にしても言える。空虹桜というマイナな物書きが「超短編の世界」という、(空虹桜)自身と比べればドメジャなアンソロジィに採録されることで、「(空虹桜という)作者名によって構築される文脈」のステータスを上げることができるのだ(具体的にいえば、採録されたことで履歴書的な経歴が一つできたことになる)
 「作者名」を「ブランド」と読み替えればわかりやすいだろう。たとえ評価が低かったとしても「パリコレ出展ブランド」の経歴があれば、看板にして広告宣伝できるのだ。
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ああそうそう、本文中敬称略です。
それはともかく、朗読会の日程はふらくんの風邪が長引いた場合、確定に時間がかかるかもです。
申し込み時点で頂いたメールでは問題ないハズなんだけど・・・

[759] そのつなぎめ

「言葉」あるいは「思想」が「感情」と結び付いて、「ことば」とか「想い」とかになる瞬間、人は心を揺らすんだろうな。

[760] FUNKY METHODIST

・あんまり解題するよな話でもないんだけど、作中の時間がいつ動き出すかについては、初稿で書いてたけど文字数とその描写自体が「ノイズ」だってことに気づいたんでばっさり切りました。
・つまりまぁ、「ノイズレス」であること「ピュア」やら「混じりっけなし」やら「猪突猛進」やらってのを同義語として考えてるわけです。
・で、「ノイズレス」は本当に朗読しませんから(笑)
・「ノイズレス」にも参加してらした繋道有線さんが今回初登場です。
・書き下ろし作品を頂いているので、事前に読みたい参加者の方がいらっしゃったら、繋道さんに確認の上メールします。
・あとまぁ、今回はふらくんと脳内亭さんがひょーたんでバッティングと。
・脳内亭さんには確認取ったんですが、万が一ふらくんが変更したいという場合は承りますので、ご一報ください。
・ででで、開催は9/7の予定です。
・現時点でギャラリー枠は3名様分空いていますので、朗読するのは恥ずかしいけど、って方も、とりあえずどうぞ!
・しっかし、あの「NEW!」のアイコンはデカ過ぎじゃね?>U・B

[761] フィーリング勝負

外来語をカタカナに変換したら、文法とかあっさり無視して、感覚だけで並べ直してみせる日本語が、アタシは好きです。

[762] 脳内百景(25)

「せっかく生き返ったのにまた死にに行くの?」
「死ななきゃ生き返れないからね」

[763] 脳内百景(26-1)

「どうしてみんなそんなに優しいの?」
「無自覚だからだろうね」

[764] 脳内百景(26-2)

「だから、アタシは1度冷たい?」
「温いよりはマシさ。たぶん」

[765] 脳内百景(26-3)

「っていうか、実際は3度ぐらい熱いよ」
「それこそ無自覚だわ」

[766] ねたかが妬むいさや

「ツいてるヤツに乗れ」とはよく言ったもので、いさやんおめでとう!
ねたかんの妬み節が楽しみで楽しみでたまりません(悪)
それにしても、こんなに早くいさやんの時代が来るとは!
賞金(?)で「超短編の世界」買って、文フリででもサイン本配布すればいいのに(をい)

[767] 自分の文章力は棚に上げておいて

土着とか実話とか言ってる人たちへ、本当に土着的な実話を話してみせても、凄まじく身内ネタだから理解できないからおもしろくないわけで、結局、ラノベっ子と大差ないレヴェルでキャッキャ言ってるに過ぎないんだよなぁ。
「土着」とか「実話」とかってフィクションで遊んでるならいいけど、それを大義名分化されるとキモい。大学時代、ゼミの先生が「関東の人間が1日2日取材した程度で地方を語るな」とフィールドワークに出るたび愚痴ってたのが思い出されます。

[768] みんな京都へ行ってるっぽいから

・生ふらくんや生ひょーたんに会ってドキドキした方や生おヒゲにジョリジョリされた方へ朗報です。ふらくんやひょーたんが耳元で朗読してくれるイヴェントが9/7に開催されます!定員残り3人だから早い者勝ちですよ!!詳しくはここの上にあるリンクからどうぞ!
・な、感じでみんな煽るといいんじゃないだろうか(笑)
・というか、これは明日の更新に差し込もう。
・生えくぼに挟まれた人も是非(笑)
・閑話休題
・「ありき」のジャンル論争というのは本当に不毛で、あとにはぺんぺん草も残らないのは歴史が証明しているので、ムキになって力込めて力説してる人がいるとウザいと思うし、引いちゃうし、これだからオタクは!と思う。
・これは、アタシがサブカルの人で、さらには社会学の人で、なにか一つに執着する必要がないからなんだろうなぁとはちょっと思う。アイデンティティをいろいろなモノにちょっとずつ担保しているので、なにか一つが倒れても致命的なダメージは受けないっていう。有閑マダムの財テク的な。
・ことあるごとにしつこいぐらいにアタシが「超短編は物理的な定義」と言い張ってるのもだから。
・だから、エイトビートならロックで、ピコピコしてたらテクノで、ぶつぶつ言ってたらラップで、リズム裏打ちしてたらレゲエで、コブシ回したら演歌ぐらいの定義がいいと思うんだけど、怒られるかな?(笑)
・ブルースハープ吹いたらブルースで、フォークギター弾いたらフォークとか。
・それはともかく、オリンピックって本来アマチュアの大会だから、最高のレヴェルの競技なんて見れないわけで、だからお涙頂戴的なバックストーリィをマスコミは用意している(同じことは高校野球にも言える)のだと理解しているので、不狼児さんの主張には異議を申し立てます!(女子サッカー好き)(すくなくとも男子サッカーよりは見るコンテンツが多かったよ>女子サッカー)(日本に限った話ではなくね)
・とはいえ、カヌーとか飛び込みとか見たかったなぁ。
・でも、本当に本当に大事なニュースをオリンピックの結果のあとに報道するのは止めてくれないかなぁ。まるでNHKがESPNだものなぁ。
・かき氷食べ逃したなぁ(遠い目)

[773] F1にまつわる個人的な余談

・9/7はベルギーGPっていうか、愛しのスパ・フランコルシャンなんで、0時近辺になると途端に喋らなくなるかと思いますが、ご了承ください。っていうか、今回は日曜だから、前回みたく3時まで喋ったりしないよ!>に次回参加者各位
・10/12はF1日本GPで、たぶん生放送だけど、まめフェスに顔出すから録画で我慢します。だから、みんなアタシを接待するように(なんて言いぐさ!)(つか、何様?)

[774] 覆面少女淫行団

一読してもう、これはアタシに朗読しろと言ってるようにしか読めなかったので、気合い入れて練習はしてみるモノの、難しい。難しいですよ。
覆面少女淫行団のセリフ一つひとつが夢乃さんの声で脳内再生されるから、余計に難しい。

[775] アンソロジィにおける文脈と視点——「超短編の世界」を事例に 9

2週間ぐらいサボったけど、忘れてないよ。
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 それまでの2つの文脈が、線分の一端にただ一人の作者が占めていたが、アンソロジィとして並べられることによって生じる文脈に作者は関与しない。
> とはいえ、前情報として「恐怖」というタームが与えられてい
> る事を受け手後付けバイアス的にイメージが伸びていくという
> 感じはある訳だけれど。こういうアンソロジは、そういう部分
> が面白さの一つだと思う。
(峯岸可弥 2008.7.24 ttp://d.hatena.ne.jp/ingoing/20080724)
 引用文中で指摘されているように、前情報として与えられていたタームによって、「作品内で完結する文脈」や「作者名によって構築される文脈」は後付けバイアス的にイメージが伸びていく。前情報を与えているのはアンソロジストであり、イメージを延ばすのは読者である。作者の意図した文脈はアンソロジィとして並べられることによって、アンソロジストと読者のイメージを獲得するのだ。
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と、枕には書いたけど、なにを書きたかったのか忘れつつあるので、一回切って、読み直します(ダメ人間)

[776] アンソロジィにおける文脈と視点——「超短編の世界」を事例に 10

ようやく録画してた「レッドブル・エアレース」見たけど、1on1のマッチアップがないと今ひとつ乗り切れないなぁ。実はスピードも相対的な概念だからさ。
速さだけを楽しむなら予選だけで十分だし。というか、満腹(枕)
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 当然、一つの作品がただ一つのアンソロジィに収録されるとは限らず、作品によっては10も100ものアンソロジィに収録され、それぞれにおいて新たな文脈を獲得することになる。
 たとえば「タイトル競作」に収録されている作品は、それぞれ「タイトル競作」での文脈を有していたが、今回「超短編の世界」に収録されることで、新たに「ホラー」としての文脈を獲得した。
 こうして他者の文脈に組み込まれた物語は、ただ唯一の「物語」として作者からもアンソロジストからも読者からも独立して「社会」に存在することが可能となる。アンソロジィとして並ぶことで他者と比較され、社会化されるからだ。
 さらにアンソロジィの意味を拡大し、DJ的な手法による脱構築と再構築や、本屋における棚の配列に話を広げるのも面白いのだけれど、ここでは自粛する。
 こうして物語は社会を構成する一人のアクタとなる。
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引用しようと思っていたblogがよしやんあるいはしずむん以外にもう一件あったのだけれど、誰のだったかなぁ・・・(ダメ人間)
それはともかく、せっかくなんだから秋山君も「てんとう虫の呪文」参加すればいいのに。
二次会までいなければ、寝落ちしないですむしさ(たぶん)
あとそう、サンバの格好で盆踊りって、それはただの仮想盆踊(殴)

[777] アンソロジィにおける文脈と視点——「超短編の世界」を事例に 11

本文はこれで終わりだけど、このあとも一回この結論で終わり逃げする理由を書かなきゃダメかな?
どうも中身が無くなってる感はあるけど、最後までやってみせなきゃね。
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 冒頭に掲げた疑問を再度確認しよう。
 文脈が妄想であるならば、社会化されることによって構築されるのであれば、その妄想(文脈)はどのように構築されるのか? 社会化されることによって、文脈はどのように変化するのか? 構築されることによって、社会にどのような影響を与えるのか?
 以上3つの疑問について、本項では検討を続けてきた。
 いわゆる「文脈」には大きく3つに分けられ(「作品内で完結する文脈」「作者名によって構築される文脈」「アンソロジィとして並べられることによって生じる文脈」)、それぞれに担い手が異なる(「作者」「時間」「アンソロジスト」)。さらにその3つの文脈を整理し理解する「読者」という文脈が見落とされており、「読者」と他の3つの「文脈」との間に交わされる相互作用によって、いわゆる「文脈」が構築されている。
 当然「文脈」は相互作用によって「文脈」として構築されるのだから、作用しあう対象に応じて、いかようにも変化する。たとえば「アンソロジィとして並べられることによって生じる文脈」は、「作品内で完結する文脈」をアンソロジィとして並べることで、「作者名によって構築される文脈」に新たな意味を付与する。
 相互作用し続ける限り「文脈」は常に新たな意味を付与され、最終的に「文脈」は物語は独立した存在として、社会を構成する一人のアクタとなる。
 単純に結論を要約すれば、物語は文脈の交点であり、交差する文脈が多ければ多いほど、物語は社会の構成員として、それぞれの担い手から独立するのである。
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そういえば、「視点」の話ってどこに行ったんだっけ?(をい)

[778] 脳内百景(27)

「嫉妬されたいなぁ」
「その前に嫉妬深いのなんとかしたら?」

[781] 無知を振りかざせ

「ムチは罰。無知は罪。ムチムチは俺好み」とラップしたのはANIだけれど、今のご時世だからこそ、思い切って無知を振りかざせばいいんだ。
無知で、あとで振り返れば赤っ恥なことを連呼して、んで、知ったかな知識人に“正しい”知識を喋らせればいいんだ。
そこら中にいっぱいいるんだよ。今。蘊蓄垂れ流したくてたまらない人たちが。
「わかってない」と言わせよう。「これだからゆとり」はとボヤかせよう。
無知のフリでも構わない。無知を振りかざそう。

[783] ノーライフキング

あんなに古本屋探しても見つからなかった本が、新刊のコーナにあったりするから、生きてみるもんだなぁと思う。

ずっと探し求めていたいとうせいこうの「ノーライフキング」が河出文庫で復刊。
勢い、一度通しで読んでから再読してしまった。そんなに厚い本じゃないからってのもあるけど、初めての経験。

だからこそ、もう香山リカみたいな紛い物に頼るのは止めにしたらいいのにと思う。
この物語にある「切迫感」や「切実さ」や「リアリティ」はなにも失われていない。

 「ごめんなさい。おとなはバカですね」
 「がんばってください」
 「この人こそリアルをしりません」

おそらく、10年後も20年後もこの物語はリアルであり続けるだろう。残念ながら、100年後まで予告する度胸はアタシにないのだけれど。
もちろん、アタシがリアルと感じているモノがアタシだけの虚像であることを否定しない。
でも、仮に虚像だとしても、誰かが、いとうせいこうがこれを発信したということは、すくなくとも何人かにとって極めてリアルなのだ。
運命論はあまり肯定したくないけど、タイミングってのはあって、上手く廻ってる時は上手いタイミングで物事がハマるモノなんだろうなと思う。
「ノーライフキング」の復刊は、アタシにとってまさしくそれ。

 ぼくは今、いつ死んでしまうかもわからないリアルなハーフライフです。
 いつかこの石を開く者がいれば、ぼくの力をすべて与えます。だから、わすれないで、まことを。
 ワスレナイデ ハーフライフ!!

[784] アンソロジィにおける文脈と視点——「超短編の世界」を事例に 12

真面目な話は前回で無理矢理クローズして、サイド動機付け。
ただ、1での動機付けとは(たぶん)一致しないので、あまり「空虹桜」の文脈を把握してらっしゃらない方は、今回は読まれないのが無難かと思います。
ホラ、ツカミは中身が無くてもキャッチィにしないと読者はついてこないじゃない(をい)
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 「超短編の世界」は「ホラーアンソロジィ」だが、収録作のほとんどは「ホラー」を意識して書かれていない。すくなくとも拙作は「ホラー」を意図していない。にもかかわらず、「ホラー」として読める。何故か?
 本項を書き出すキッカケは、このごくありきたりな疑問である。
 社会学という学問は、このような疑問に対して、それなりの説得力を持った理由付けを提示するもっとも便利なツールであり、また、筆者はそのツールを使っても大ケガしない程度には使った経験があった。
 だから、極めてありきたりな結論を導くために、長い時間を掛けて、論文口調でロジックを構成してきた。瑕疵はたくさんあるけど、手を入れれば使えなくはないかな? 程度のモノにはなっていると思う。
 Webで論文口調を使うとき、紛れもなく筆者は自己弁護のためのロジックを構築している。人の見えるところでロジックを構築することで、再利用を可能とするのが第一義。第二義に歴史的な事実にしてしまうことがある。もうその道は通った道だと明示しているのだ。
 しかし、本項で再三再四述べてきたように、物語はテキストは文脈の交点において作者から独立する。よって、ここに構築されたロジックは、空虹桜の手によって書かれたが、空虹桜のために書かれたが、既に空虹桜のモノではない。ロジックはただロジックとしてWebに存在しているのだ。
 使用に耐えうるならば、存分に使ってもらえればと思う。「主張」はただ一つの文脈からのみ発せられたもので、社会的ではない。しかし、ロジックは、踏み込んでいえば実証主義によって構築されたロジックは、誕生した時点で既に多視点に晒され、視点間の相互作用の影響を受け、社会性を獲得しているのだ。
 とくに物語論、文学論、ジャンル論において論理性と社会性が著しく欠如しているよう筆者には見える。主張だけが繰り広げられ、生き延びているのは半端な「評論家」や「論客」ばかりだ。文化社会学者の大半は、せっかく多大なるコストを掛けて行った調査を「評論家」や「論客」の主張の整理に費やさざるを得なくなっている。
 瑕疵だらけのロジックでも使ってもらえればと心から思う。せめて話を噛み合わせてくれればと思う。薄っぺらい知識をひけらかす引用ではなく、明瞭化するためのロジックを引用してくれればと思う。結果として衝突するとしても、衝突さえすればそこに相互作用は生じ、社会性が生まれるのだ。ロジックはそれだけ社会的に独立し、強くなるだろう。
 以上が、本稿の意図である。意図が満たされているかは、どの程度の文脈に本稿が置かれるかに寄る。
 勘違いしないでいただきたい。これはごくごく普通の論文評価軸の一つである「参照数」と同義であることを。
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でまぁ、上の分のどこがロジカルかというのはまた別のお話(落ち)

[785] 「落ち」の変換ミスったけどそんなことより

今度の日曜は「第4回 てんとう虫の呪文」ですよ!
生ひょーたんや生マンジュさんや生ふらくんが
耳元であんな話やこんな話を朗読してくれますよ!!
そしてまだ、ギャラリー参加には若干の余裕がありますよ!!!!

で、ギャラリー参加ってのは「読むのは恥ずかしいけど、聞いてみたいな」みたいな嬉し恥ずかしな感じの人をターゲットにした枠ですが、「朗読受付に間に合わなかったんだけど、一作ぐらい読んでもいい?」って、思うんだったら読んでくれて構わない枠でもあります。
外面は真面目に見えても、内面はユルいのが「てんとう虫の呪文」ですから、ちょっと聞いてみたいだけの人も、ちょっと読んでみたいだけの人も是非是非!!

[786] あと一人

「第4回 てんとう虫の呪文」のギャラリー参加者できるのはあと一人ですよ!
会議通話10人以上参加できるという噂もありますが、とりあえずあと一人ですよ!
人生絶頂期の犬とか北陸の犬とか、日付変わる頃じゃないと参加できなくても、とりあえず申し込んどけ!

[788] 書いた直後ぐらいに

名犬が走り込んできましたので、とりあえず10人になりました。
こちらが把握する前に10人オーヴァしたら考えどこなんですが、把握してる状況下で10人超えたんで、一旦締めきりという形を取りたいと思います(でいいよね?>ひょーたん&マンジュさん)

キャンセル待ちというか、都合により参加できない方が万一いらっしゃった場合のみ、追加で受け付けようかと思いますが、そうなるともしかしたら本気で直前になるかもしれないので、参加者のSkypeIDをご存じの方のみ、ログインしながら待っててね!みたいな感じになるかと。

とりあえず、ご連絡とご報告と謝意を。

[793] 宇宙人だし変態だし

・有線さんはつながらず!残念。またの機会に。
・そえさんはつながったり切れたりを繰り返し。せっかくそえさんも朗読の準備をしてくださっていたのに残念!またの機会に。
・そんなわけで、フルメンバだったのに平均8人のイヴェントでした。
・仲町さんはマイクの調子が悪くお声を聞けず。残念!
・マイクテストする際はお声を掛けてくだされば、いつでもおつきあいしますので!>仲町さん

・で、宇宙人なのは、やっぱり空虹主催で会議通話を開くと音質が悪いという。
・初めての仲町さんリクエストでふらくんからスタート。
・初めてだからか、ちょっぴり緊張気味に聞こえたのはアタシだけ?
・続いて、あきよさんリクエストで、続き物だから(?)ってのもあり、脳内亭さん。ホントに練習してないの?的な。
・で、ギャラリー参加だって事実をすっかり忘れていた(笑)いさやんリクエストで、ひょーたん。
・そのあとにマンジュさんが朗読したんで、いさやんの時間は終了(笑)
・空虹の「手紙」は何故かエラーが出て録音できず。無念。
・ふらくんの「蜜」は、欲を言うともっとエロく読んで欲しかった(笑)
・で、仲町さん直々のご指名で「覆面少女淫行団」。気合い入れて読んだらみんなからよってたかって変態扱いとはこれいかに。ビバ!変態。
・マンジュさんの「輝ける太陽の子」は原文以上にエロくて美味しゅうございました。
・脳内亭さんに朗読されて、ちょっぴり照れてるふらくんはきっと萌え。
・で、ふらくんに「性の起源」朗読していただいたら、まったくもって少年の物語になってビックリ。朗読会やってて良かったなぁ。
・なんと今回のべ4作も朗読されるあたり、ひょーたんは少女回路が強い娘なのだから、もっと照れずにいればいいのにとちょっと思う。
・最後に今回ギャラリーのあきよさんに飛び入りで朗読していただく。あきよさんの「ノイズレス」はツンデレ!(をい)
・二次会はいさやんのDokiDokiなアレの話とか、ふらくんのアンチ非モテ話の最中にアタシのパソコンが落ちるとか、本棚写真に撮って見せあっこしたりとか。

・さてさて、次回ですが、現時点で「少年」縛りだけが決定していて、日程が決まりません。
・10月まめフェス、11月文フリ、12月超短編イヴェントと3ヶ月続くからです。
・今さらほんのちょっとだけ、無理して12月のイヴェントに行ってしまおうかと考えなくなはないが、う〜ん・・・
・で、やるとしたら文フリの次の週とかその次の3連休とか?そこで逃したら年越しちゃうという。
・ただ、11月にやるのは4.5回でもいいのかなぁとは。一人1・2作で。12月のプレイヴェント的に。
・あと、10月にまめフェス行くんで、11日は誰か構ってねという話。
・いよいよなったら、アタシと脳内亭さんでふらくんち襲撃という・・・(無茶)

[795] アトリエ超短編

募集要項がいつのまにやら出ていた。
ttp://www.microstory.org/community/ContestSummarySpecial1.html
写真がやっぱり見難いよと思わないではないけど、仕方ないよね。
たぶんのが圧倒的だろうし。
そんなことより、ちょっと彼方から我が儘を言いたい。
選者が山下さんも含めて3人になってるけど、朗読する人に選んで欲しいなぁ!(無茶)

あと全然関係ないけど、豆本トークショーは参加すべき?
ttp://miyako.cool.ne.jp/blog/blosxom.cgi/kototsubo_works/20080902_1.htm
できなくはないのだけど・・・

[799] 再掲するときは直す

ホントは韻を踏むことよりも、5音7音の日本語的リズム感に執着するつもりだったのに、「500文字」見たら初っ端から「歓楽街」だものなぁ。なにやってるんだか<自分
「昼は公園。夜は失楽園」はまだ言い訳考えてた気もするけど、やっぱり直そう。っていうか、最後に「ジャングルの夜」を置くとあまりにサビっぽくなりすぎて恥ずかしかったから、出す時消したんだけど、やっぱり復活させよう。それからそれから・・・

それはともかくとして、都市はそれだけで十分大きな物語なので、そこにさらに物語を重ねるのは、超短編には屋上屋かなぁと思ったんですが、ここはやはり技量の問題ですね。精進します。
あとなんだっけ?そうそう、ヒップホップ的には都市の騒音をサンプリングしてトラック化するってのが一つのアイディアなんですが、せっかくだから脳内亭さんには是非ともTHE HELLO WORKSの「PAYDAY」を聴いていただけたらと。生音でラップすることもそうなんだけど、伝だら時にそこはかとなく漂っていた「いかにも日本で産まれた音楽!」といったごった煮感というかがこのアルバムでいよいよ煮詰まったんじゃないかと。日本文化の極みの一峰だと思うんだけど、ホントに売れないんだよなぁ。

[801] メモ

産まれてから死ぬまでカミサマから放置プレイ。

[803] メモ

なにげない昨日は、あの日より遠い。

[806] 夢が夢なら

SAF1がいたら、トロロッソじゃなくてあそこに・・・

[807] 朗読にまつわるエトセトラ2題

・全然メインではないのに「PingPongPang MIX」と名乗っているのは、原作を読めばわかるように、あの展開を音声だけで展開するのは、すくなくともアタシには不可能だから。となると、本来は音効で場面転換を表現するのだけど、音効も上手く使えないわけで、となれば、音声だけで音効的な表現をしなければならないから。この罠をどうクリアするかが最初の難敵でした。
・アタシ自身は自分がオリジナルだとはあまり思っていなくて、サブカルの人だから、いろんなところをサンプリングしてまわる、そのセンスだけで生き延びれないかなぁと思っているのだけれど、それはともかく、オリジナル願望が強い人には「あなたの声こそが唯一無比のオリジナルだ!」という話をすると、さらに朗読してくれる人が増えるのかなぁと思うのだけれど。

[808] Shot to th Top! Shout!!

他人様のblogを読んでいて、ついつい思わず「お前がアタシやアタシの大事な人たちが大好きなロックを口にするな!」とかブチ切れそうになった直後に、これまた他人様のblogに泣けるほど嬉しいことが書いてあったんでプラマイ大幅プラスで、最近ちょっとばかし感情の振幅が激しすぎるので、いい歳なんだからもうちょっと低空飛行で平行線を辿りたいとは思うのだけれど、なかなか難しくて、だからってその感情を他のモノに変換できればいいんだけど、それが出来ればもうモノになってるよねという話。

[809] 他人事のように

みんな仲いいなぁと思ってみたり。
若干アウェイ感を感じるほどに(笑)

[810] たまにゃそゆ時もあらぁ

なぜかは知らないけれど、思いつくので、ここ数日超短編量産体制なんだけど、まったくもって一般受けする代物ではないので、たぶん、半分ぐらいは陽の目を見ないだろうなぁとか。
去年の後半ぐらいから、完全に「作者バレ上等!」「オナニー超短編上等!」みたいな感じで、狭いジャンルの「超短編」の中でさらに異端なとこへ勇み足な感じ。無論、突き抜けれるなら突き抜けたいとは思っているのだけれど、このまま枯れるのも一興か?的な。
> 発酵する程の マンネリズムが まらっきしダメなのかと
> 問われると そうとも言えない 門戸の広さは 放送大学並
だなんて、ANIが10年以上前にラップした意味がようやくわかってきたかも。
もちろん「アトリエ超短編」や「たまねぎ」はとっくに書き上げ寝かせてる状態。「アトリエ」こそ、まったく朗読されそうにない話を書いて、どうするつもりなのかと(笑)
いっそ、あのオブジェをネタに500文字のコントが書ければ!当て書きならいけるか?クソッ・・・笑いの神様!

[811] ねたかん面白いよねたかん

もうなんか芸風が完成されてきた感すら漂うよねぇ。まだ一度も会ってないけど(笑)

もっともっと不幸になればいいのに!(をい)

[812] 2週間違い

たなかさんが10/25に東京いらっしゃるらしいので、2週間違いで会えずじまい。
やっぱり12月のイヴェント行かないと会いようがないかしら?関西方面の皆様とは・・・

えと、10/11と12に「まめフェス」あたりに顔を出しますが、会いたいと思ってる人は、たいていもう会えることが確定しているか、「まめフェス」に出店されてらっしゃるか、おそらくお客さんでいらっしゃるので、会ってくださる人と会えれば満足です。
ただ・・・ボンヤリとしか考えてないけど、せっかくイヴェントのご案内が出回ってることですし、どっかのカラオケボックスにでも押し入って、プレイヴェント名目の「第4.5回 生・てんとう虫の呪文」やってもいいのかなぁとは。
半ば、ひょーたんの舞台度胸試しだけど(笑)(つか、ひょーたんだって忙しいのになにを無茶振り!)
「朗読会」が「朗読劇」とか「コント」になったらゴメン!
まぁ、思いつきでしか書いてないんだけど。

[813] 気が短い

回廊のメールマガジンの競馬コラムを読んでムカッとするんだから、まだアタシもだいぶ競馬好きなんだなぁ。
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