「ぱらでぃもん」を知ってる?
すーっと、客の間から話し声が消えていく。
いかにも松本楽志作品な「ぱらでぃもん」
たっぷりの間を取って、ゆったりと物語が暗唱されていく。
狭い店内は栗田ひづるの声に掌握された。
ああ、やられたなぁと思った。
アクタから離れすぎているし、オーディエンスをやりすぎている。
それはともかく、今回聴いていて一番感じたのは「たっぷりの間」
「ぱらでぃもん」の時点では長すぎるように感じた「間」は、「送る」あたりで完璧に馴染み、「しわ」で極まった。
まったく考えになかったのだけれど、超短編とはそういうジャンルだったのだ。
さすがプロ。
超短編の短さは、「引き算」の短さだと思っていたし、その発想で、アタシは作品を紡いできた。
しかし、朗読される超短編には「引き算」感が無かった。
おそらく、ここでの短さは「圧縮」によって生み出されていたのだ。
思考するかのようにわずかな時間で読み取られていく超短編は、肉体をもって再生する際「解凍」され、芳醇な物語として聴き取られる。
タカスギ作のエロさや五十嵐作の巧妙さ、松本作の奇妙さや赤井作の切実さ、岡田作のユーモアは、朗読によって強調される。
「500文字の心臓」のトップページにも「超短編マッチ箱」の1号にも「短さは蝶だ。短さは未来だ。」と書かれている。
なんとなくわかるけどなんとなくわからない。
けど、今回聴いていて、ちょっとわかった気がした。
(本文敬称略)