この二人が京王線をはさんで調布駅からほぼ対称の位置(推測)にいまだに生きて住んでいる。
という事実が私に生きる力を与えてくれるような気がしまるす。
数年前の不発弾処理の時は、二人とも避難区域だったのでしょうか。
あの日曜日に、二人は同じような時間に同じように家から逃げたのだろうか、とか想像すると、生きていてよかったと思えてくる。
実際に避難区域だったかどうかは知りませんけどね。
水木しげるが、「つげサンと猫は天才だから、かなわない」と綴っていたのは胸にきました。
吉祥寺→楳図かずお、大島弓子、宮崎駿
調布→水木しげる、つげ義春、吉田戦車
こうして並べてみると、何か味わいが出ますね。
吉祥寺は「乙女」、調布は「隠居」。
吉祥寺も調布も武蔵野とみなせば同じなのですが、中央線と京王線の性格のちがいは大きい。
つげ義春初期傑作短編集 1
深大寺でのインタビューが載っていて、泣ける。
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