作品名 | 記述者 | 記述日 | 星 |
キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン | 唸るバクテリア | 2023/12/21 | ★★★★ |
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しかし、あの自白ワンカットは一体誰の視線なのかと。
なるほど。そのあとの対峙シーンを踏まえれば、俺の読みは間違ってないよね。しめしめ。とは思う。
歪んだ「ロミオとジュリエット」感もある。
だけれど、あの対峙シーン最後のディカプリオの顔芸は素晴らしかった。
もう、ダメ男やらせると最高が過ぎる。これぞ、THEダメ男。
で、あの顔芸受けてるリリー・グラッドストーン as モリー・バークハートこそが、実はアカデミー取ってしかるべきな芝居じゃないかと。
これまた法廷シーンだけど、日本の安い芝居だったら頷かせたりするわけじゃないですか。ディカプリオの芝居を受けて。
でも、じっと見る。じっと見る。
家族を殺したのはこの男であり、愛したのもこの男というのは、ちょっとした「あるある」でもあるんだけど、いやいや、自分さえも殺されかけた時のあの芝居と、この芝居のギャップをひとりでやっているとは、恐れ入ること間違いなし。
名優ですよ。
オセージの人では無いようだけど、ニミプーの血を引いているので、当事者キャスティングと言っても良さそうではある。
そして、映画本編としてはラストシーン。
その前の入れ子構造は、途中の違和感の答え合わせではあるのだが、必要か?と問われると、いらないのです。
まるで「アステロイド・シティ」ばりにいらない。
でも、そうしないと、マーティン・スコセッシほどの人間でも、受け入れられないのかもしれないと考えると、本当に白人は糞だと言わざるを得ない。
なにが多様性で、なにが当事者キャスティングなのか。
結局のところ、テメェらの糞っぷりをひたすら隠そうとしてるだけじゃないか!
と、イエロー・モンキーは考えるわけですが、じゃあ、自分がアジア圏でデカい顔するのも同義だよな。とも。
KKKがまるで正義みたいな感じで、シレッと台詞上登場する(しかし、嫌悪もしているという倒錯)のも、あの頃のアメリカっぽくて、ここ数年見た映画だと、「サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)」や「リスペクト」や「ザ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ」を思い出す。
って、そうか。
このエンディングはエドガー・フーヴァーdisだったのか。なるほど。
とはいえしかして、お金と女が好きな自分は否定できないのよね。
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